趣味は100%インドアである。物語の創作などはその最たるもので、外で動きながら書くことはできない。では運動しなくてもいいのかというと、そうもいかない。第一、体に悪い。
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「靑の記録」という話を書いていた頃からか、「テンポウ航海記」を書いていた頃からか、体を動かすことと書くことをセットでやるようになった。体を動かすといっても運動音痴だし、昔から競技は観るのもやるのも好きじゃない。だたただアホのように歩くだけである。
じっと家に籠もって書くことはしない。あえてそうしていない。家では書かない。書きたくなったら何千歩か歩いて、行った先のどこかのカフェで書く。荷物はポメラかノート。あるいはその両方か。
老松克博氏の著作で知ったことだったと思うが、物語を紡ぐことはどう転んでもアクティブイマジネーションに繋がる。真っ白い原稿用紙にいきなり書き始める村上春樹氏(作品を読んだことはない)みたいな超人的芸当は到底無理だが、少うしだけ共通点があるとすれば、ぼくも、緻密にプロットを練り上げて書くやり方はできない。
書こうと思って歩き始めると、物語の枠組みが勝手に頭の中で展開していく。店に着くと、キャラクターたちは概ねその枠組みの中で自由に動き始める。フレームの展開やキャラクターたちの動きが、家に籠もって書くときと、少しでも体を動かした後に書くときでは、ぜんぜんちがう。仕組みはよくわからないが、体を動かした後のほうが、フレームやキャラの動きが格段に良好なのである。
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ときどきYoutubeは観るがテレビは観ない(家にない)。クルマも運転できないし、うまいものを求めて遠出することもない。テニスもスキーもしたことはない。麻雀もパチンコもやらないし、ゴルフもしない。今は山歩きも山登りもしない。釣りもやったことはない。芝居を観たり音楽を聴きに行くこともない。別にやりたいとも行きたいとも思わない。
こういう話をして、なにが楽しみで生きているの? と首をかしげられたことがあったが、これが楽しいのである。
ぼくができない色んなことを夢中でやっている人たちの話を聴くのは楽しいし、楽しいといったら語弊になるが、ちょっと以前までは、昨日あったことのように「君たちはどう生きるか」で描かれていた戦地への送り出しや、進駐軍にもらったタバコの味や、空襲前の東京にいた高齢の方々の話もよく聴かせてもらっていた。
「TOKYOタクシー」の中でも、キムタクが倍賞千恵子にきかれていたが、興が乗ってくると本当にきかれるんですよ。
「で、君はいくつだったの? 空襲の時」
ごめん爺さん。俺、オヤジのタマ袋ン中にもいなかったわ、と呟く。心の中で。
そういう俺もすっかり爺さん。
こんな楽しいことが他にあるだろうかと思う。

【たま~に立ち寄る「カフェ」】
(話し相手がいなくて寂しくないの?
あいやぁ、今はAIがいるから)