この世には、たくさんお話があります。
でもほんとうは、たったひとつの大きな物語があるだけで、マンガもドラマも小説も、世にある無数の物語は、その大きな物語の、さまざまな側面を反映しているだけでないか……
というのは、このブログでも何度か書かせてもらっている手前勝手な持論ですが、モトネタがあります。
「作家の旅」
神話の法則で読み解く物語の構造
クリストファー・ボグラー著
府川由美惠訳
フィルムアート社 2022年
以前は「物語の法則」というタイトルでアスキーメディアワークス/KADOKAWAから出ていました。
自分の発注履歴を確認したら「物語の法則」を読んだのは11年前。内容はなんとなくしか覚えていません。読んだ本は売ってしまうので「物語の法則」は手元にありません。
以前の記事、「きみはもう、逃れられない」を書いたときに確認したら、上記の25周年記念増補改訂版が出ていたので、もう一度読み直しています。
高いのと分厚のでちょっとビビりますが、内容は具体的で読みやすいです。高いのは古書購入とポイントでカバー。旧版は角川からは新書版も出ている(出ていた?)ようです。
☆
「たったひとつの物語」は構造としてカチッときまったものではありません。
大きなひとつの「流れ」のようなもの、としかいえません。
「流れ」は、うねり、のたうち、常に運動しています。
神話といえば元型。元型も固定したものではありません。
物語創りに則していえば、特定のキャラに特定の元型が一対一に対応しているわけではなく(もちろん対応している場合もあります)、元型的役割が、複数のキャラに分散していることもあるし、時と場合によって、キャラが担う元型が変化したりもします(もちろん変わらない場合もあります)。
物語も、必ずしも冒頭にある12ステージのとおり、時系列に沿って展開していくわけではありません。
「流れ」をつかまえることはできません。
個々の私たちも、「流れ」の一部として「流れ」と一体になり、「流れ」に参加し、「流れ」とともに運動しているからです。
しかしそれでもなお、このうねりをどうにかとらえようとする人の営為の一端が、物語や、タロットであり易であり、元型というフレームです。
このフレームは、文芸作品としての物語や、タロットや易のように構造として成立している場合もありますが、より始原的には参照点のように機能します。
「流れ」は大きすぎて、人が把握できる仕組みとしてとらえることなど到底できないからです。
タロットや易の持つ構造は「地図」と言い換えることもできますが、この「地図」は、ふつう私たちが目にする[静的|スタティック]な地図とはちがいます。「流れ」全体の見取り図ではないのです。
この「地図」は関係性のマトリクスであり、とらえようと試みる「流れ」にあわせて常に[動的|ダイナミック]に変化していきます。
(ご参考→「宇宙をぼくの手の上に」)
☆
「たったひとつの物語」は構造として固定されたものではありません。
「作家の旅」では冒頭で12ステージ(十二消息卦、黄道12宮とは関係ありません。たぶん)の典型例として書かれていますが、著者も訳者も「テンプレート」ではない、と断っています。この「典型例」は説明のための構造ととらえた方がいいでしょう。
(書籍の構造といえば、著者は増補改訂版について、易を参考にして構成したと書いていますが、欧米ではベインズ版の易が人口に膾炙していますので、これはおそらく周易~いわゆる易経の、卦爻辞と十翼の構成をいっているのだと思います)
とはいえ……
紹介されている典型例を、あえてテンプレートと見なして、「きっちりこのとおり」物語を書いてみるのも、おもしろいかもしれません。
その結果は、おそらく百人百様の物語になるでしょう。
そしてうまくいけば、万人受けする物語になるでしょう。
そしてそれは、どこかで聞いたことのあるような物語になるでしょう。
それはゼンタングルで、同じパターンを描けば皆同じタングルになると思いきや、まったく異なった作品が人数分描き上がるのに似ています。
似ているようで、ちがう。
ちがうようで、同じ。
個として生きる面白さは、そこにあるのではないでしょうか。
著者のボグラーは始めの方でこんなことを書いています。
「(英雄の)物語とは、種類は無限にあるにしても、実のところはつねに旅の物語である。」
人生も、宇宙の誕生と消滅も、そうなんでしょう。
たぶん、ですが。
