Ich Roman | ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。


私小説である。
私小説も物語だ。

お命ちょうだい」では、物語作者が物語に飲み込まれるリスクについてお話ししたが、私小説を読む場合、その物語にあえて飲み込まれる覚悟が必要だ。その私小説を「いい」と思える要素のうち、大部分は「共感」で成り立っているからである。

最初に見たときは、経緯は知らないけど、お堅い版元から出てるな……くらいで、いったん忘れていたが、その後どうしても気になって、めくら買いした(Amazon)。

喧嘩、親の離婚、万引き、シカト……思春期(とは限らないかも)の現実と同等か、あるいはそれ以上の基盤として併存するPCゲームの世界。

「どうしても気になる」ということは、その時点から「共感」は始まっているということである。


「共感、共振、共鳴」は魔法の基本動作原理。


ウロボロスは最初っから、 ほとんど飲み込まれてしまっていたのだ。


ネットで見つけた本だが、そもそもは、「ライフゲーム(セルが生まれたり死んだりするアレ)」について調べていたときに、タイプミスかなにかで引っ掛かった。

ゲームがライフなのか、ライフがゲームなのか。


この世に偶然はない。

エラーの中にこそ真意がある。

こういうのも魔法の原理ではなかろうか。


活字とカバーが青い理由は、最後まで読めば了解されるが、 「青」は、ぼくの中では魔法の色だ。