ミケ様。
こんにちは。
にゃんこ先生です。
お正月なので、いつもの話からちょっとそれて、でも、ちょっとは次回からの流れに関係するお話をします。
この「お話」の「私」というのは、にゃんこ先生のことではありません。
ご注意。
☆
ある方の話を聞く機会がありました。
その方は長いことかかって貯金して夢だった世界一周の旅に出て、先だって帰国されたということでした。
一年間ほど旅の空にあったのですが、そのくらい長くなると旅しているということが日常的な感覚になってしまうのだそうです。
私はその話を聞いてたいへんよい気づきを得られましたねと言いました。
実は私たちの日常生活そのものがすでに「旅」なんですよ、少なくとも私はそう思っていますよ、と続けました。
日常生活で旅をするということはそもそも旅である流れの中でさらに旅をするわけで、言ってみれば旅の入れ子になっているのです。
だからといって日常生活を離れて旅に出ることが無駄だと言いたいのではなく、その方にもそんなことは言いませんでした。
それを言うなら、スポーツでひと試合することだって、舞踏や武道の[形|かた]をひとつ演舞し終えることだって、RPGをプレイすることだって、小説を読むことだって、映画を観ることだって、音楽を一曲奏でる・聴くことだって、作品をひとつ仕上げることだって、駅前や自分の畑に行って帰ってくることだって、食器を洗うことだって、洗車することだって、いやいや、息を一回吸ってはくことだって、全部「旅」なのです。
どんな旅にも共通する枠組みがあります。
それは旅というのは故郷から離れて外の世界で見聞きまたは経験したことを、またふたたび故郷に持ち帰る過程であるということです。
経験はひとそれぞれなので、そのそれぞれの経験には、はかり知れない価値があります。
ところで私たちがさせられている旅はちょっと変わっています。
私たちは気がついたらすでに「外の世界」にいたのです。
私たちには「故郷」の記憶がありません。
いったい私たちは「どこから」この旅に出たのでしょうか。
とんと思い出せません。
私自身は先の方とはちがって生まれてこの方ただの一度もこの家を一歩たりとも出たことはありません。
どこかへ行きたいと思ったこともありません。
先の方のように自由に旅できることをうらやましいとも思いません。
しかし……しかしそれでもなお、私の一生のテーマは「旅」なのです。
私は今も旅の途上にあり私のこの旅はおそらく永遠に続くであろうことは身体のどこかがいつも感じているようではあります。
今はただ、私の旅と皆様の旅が[永久|とわ]に実りあるものであることを願ってやみません。
※タイトルは映画「スタートレック」からのパクリ。