六十四卦雑想——上昇。「闇」に向かって。 | ぼくは占い師じゃない

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易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press


85:升
14:无妄
TP26:スパイラル

   ☆

わりとわかりやすい意味と、
わりとわかりやすい描き方に観える易タングル。

ぐるぐると上昇するテープというか、新体操のリボンというか、この帯は「ダブルストリング」のやり方で描いた。

ゼンタングルでは境界線を描いてからその線で区切られたエリアをパターンで埋めていくのが基本だが、この境界線を「ストリング」という。

ダブルストリングは鉛筆を2本持って境界線を描いていくやり方で、ここに描いたようなのは一番工夫のない描き方かもしれない。

すっきりした方からいこう。


【85:升】

「85:升」の易タングルは実質ひとつのパターンしかない(モノタングル)。
上昇するリボンの柄になっているギザギザの線でできたパターンがそれだが、このパターンはゼンタングルで「スタティック」と呼ばれるパターンで、易タングルでは「震」にみられるような衝動的なエネルギーをあらわすものとしている。

「している」といっても厳密な定義などではなくて、「そんな感じ」といった程度のこと。

上昇するリボンの裏側は「スタティック」を交互に白黒に塗り分けたパターンだ。
バックは黒ベタで易タングルでは本源から分離した個人を象徴する「ティップル」が浮いている。

大成卦は坤(大地)が上卦で巽(風)が下卦。
大地に風が吹くイメージなのだが、升は上昇の升で、この風は天高く駆け上っていく。


【14:无妄】

同じ風でもこちらは災害をもたらしかねない風だ。

上卦は「乾」、天で、下卦は「震」、雷。
天下に雷鳴が轟く。
自然に吹く風はコントロールできない。

ありのままというわけだが、人間にとっては吉でも凶でもある。
吉凶は人間側の都合であり、自然とは直接関係ない。自然に吉凶など、そもそも在りようがない。
人が死のうが生きようが風は吹く。
このタングルに吹いているのはそういう風。
いつわり(妄)がない(无)。
目先の損得にはかかわりがない。

ツイストペアの意味としては「スパイラル」=螺旋としてある。
スパイラルは吉凶とかかわりなく、すべての動きの原因となるエネルギーである。
日常的なレベルから観れば、このスパイラルが吉凶をもたらすようにもみえる。
宮沢賢治はこの根源的エネルギーを「サイクルホール」と命名した。
風たちが知っている風によってつくられる「なにか」だ。

その「なにか」は、今回紹介している易タングル上では黒い色(黒ベタの部分)であらわされる。

「升」のタングルでは背景の黒、「无妄」のタングルでは螺旋を描くリボンは暗闇をかかえている。

「スパイラル」は一見わかりやすく観えるが、それが抱えている本質は茫洋としていてとらえどころがない。
だからといって「恐ろしい」わけではない。
むやみに怖がることもない。

黒ベタであらわされた闇も「何もない」虚無の闇などではない。
決して。

「何もない」などということはありえないのだ。

凡そ想像することのできるすべてが、そこから生まれ出てくるような闇(*2)。

「何もない」闇ではない。

この闇は「やわらかい」闇。

夏の夜。

テントを張ったすぐ外(ビバークか?)。
森とあなたの間に横たわる闇。
シカかサルかフクロウか。
遠くから聞こえる獣の声がふちどる暖かい闇。

「やわらかい闇」はやさしいのである。


   ☆

(*1)「ゼンタングル」、「易タングル」
「六十四卦雑想ーーはじめに」を参照してください。

(*2)すべてがそこから生まれ出てくる闇
無意識。
死。
そしてもっと根源的な……
老子はこれを「玄牝の門」と呼んだ。
男にとっては永遠の故郷だが、おそろしい海でもある。

せっかくそこから必死こいて這い上がってきたにもかかわらず、またそこに引きずり戻されるのがたまらなくこわいのである(「むやみにこわがるな」とかいっておきながら結局こわがっている!)。