32:<「目癸」、目へんに「みずのと」><ケイ>
67:<「寒足」、「寒」の下の二点の代わりに足><ケン>
TP13:ブロック
☆
このふたつはアタマの痛い卦である。

【32:「目癸」ケイ】

【67:「寒足」ケン】
ゼンタングルの方もそれらしいデザインにしたが、いずれも単独のティップル(真ん中にある、丸の中心に点のあるパターン)が、大きな三角形にはさまれている。

【単独のティップル】
このゼンタングルのシリーズ(易タングル)では、
単独のティップルは、創造されてこの方、分離という旅に出た個人をあらわすものとした。
この個人、このゼンタングルの物語における主人公はいまや、上から下から、大きな三角形であらわされる重圧に苛(さいな)まされているのである。
重圧の性質は「32:「目癸」ケイ」と「67:「寒足」ケン」では異なる。
「32:「目癸」ケイ」では一つ屋根の下に嫁姑、互いに反目しあうものどうしが同居している。
「67:「寒足」ケン」では行く手を急流、背後を山でさえぎられて身動きがとれない。
この卦に限らず、一般に難卦といわれるアタマの痛い卦(*1)が出たとき、占者としては、何らかの活路を相談者に提示する必要がある(いやまあ、四難卦じゃなくても活路の提示(適切なアドバイス)ができなきゃ困るわけですが。占者としては)。
占者 :「あなたは今、×××な状況にいますね!」
相談者:「すごい!あたってます!」
てなやりとりはよく見聞きするが、あたってるからなんだというのだろう。
あたっているということがわかるということは、相談者はそんなことは最初から百も承知であるということだ。
最初からわかりきったことを、あたってる、あたってるといって喜んでも仕方がない。
たとえば、黒い紙を二人で囲んで
「黒いですね」
「うん、黒い」
と確認しあったところでなんの解決にもならない。
この段階では現状確認だ。
それはそれで重要な基盤なのだが、大事なのはその先の話だ。
エラそうなことをいってしまった。
じゃあオマエは、この卦が出たときはどうしろというアドバイスが的確にできるのかと問われれば、そんな自信も公式も……
もちろんない。
ただいえるのは、どれだけ八方ふさがりに見えても、必ず「活路はある」ということだけだ。
「必ず」だ。
最初は半信半疑かも知れない。
そんなこと、到底信じられないかも知れない。
そのときは、どうしたらいいか皆目わからないかもしれない。
けれども、活路がある。
だから安易な方法を選んではいけない、ということと、「活路は必ずある」ということだけは、歳をとればとるほど信じられるようになっていく。
このゼンタングルの真ん中の○、ティップルは、上から下から年月を経た圧力をかけ続けられることによって、その性質を変える。
それはあたかも、なんの変哲もない路傍の石ころが、圧力をかけられることによって、結晶に変容するようなものかもしれない。
歳をとること。
それは知恵が結晶化することだ。
その結晶は、たくわえられた豊富な知識とあいまって、うつくしく、記憶・知識へのアクセスは、ひらめくように早くなる。
しかしその反面、融通(書き換え)がききづらくなる。
こんなふうに、いい知らせと悪い知らせはペアでやってくることが多い。
まるで陰陽のように。
活路はたいがい、そのどちらでもない、意外なところからもたらされる。
「だからね、占ってもしょうがないんですよ、実は」
とまでは、さすがに言えない。
ぼくは占い師じゃないけれど。
☆
*1 アタマの痛い卦
「64:屯」、「26:困」、「66:坎」、そして「67:「寒足」ケン」は四難卦として有名。
「ゼンタングル」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーはじめに」を参照してください。