十年もかけて書かれただけあって、読後は、一生どころか二生、三生分くらい生きた気分になる。
本編と、主人公の別の人生を描いた三編の、付録のような物語から成るので正しくは四生だが。
まあ、そんなことはいいか。
二極性と均衡に到ろうとする煩悶。
社会構造のように描かれてはいるが、
それはそのまま個人の内側にもあてはまる。
だれか映画にしてくれないかなあ。
脚本は主人公であるクネヒトとデシニョリを軸に展開するだろう。
そうならざるをえない。
当の「ガラス玉演戯」は数学、音楽、哲学等を統合した一種の普遍言語であり、芸術らしい。
映像化不可能というのはこういうことをいうのだろう。
理想と現実、
学究と日常生活、
聖と俗、
魂と肉。
そして、
易と瞑想。
