もう一度、前回の「マンダラ」を観ていただきたい。
【正八面体=大成卦=人間 マンダラ(再掲)】
「初」から「上」までジグザグに昇っていく矢印は、通常の発達段階に相当する。
初爻以前、本源と表記されたあらゆる可能性の海のうちの特定の可能性が、拡大・展開して、物質寄りの魂である精霊(「心/四元素」)のレベルを形成する。
宇宙が宇宙自身を味わおうとする衝動の作用であり、「初」と「二」の間で「宇宙的衝動」と書いた。
「初」と「上」はもともと中心線で結ばれている。
大本の衝動はこの中心線=「本源」で起こっている。
「心/四元素」(精霊)はさらに魂魄の結合により生じた「自我」を突き動かす原動力となる。
この力は「本能的衝動」と表記した。
心理学的病理が発生するレベルである。
自我は、人間が自律的にステップアップするために必須の機能だが、自己絶対化(インフレーション)にはまりやすい。
程度の差はあれど、インフレーションを起こした自我はゼロポイントを含む「三」—「四」のプロセスに捕縛されてしまう。
「GAP」と表記したこの状態には「人生ライン」「輪廻」といったコメントをつけたが、ここで「ゼロポイント」に気づかなければ、自我は相応のポテンシャルを得るまで、この段階を巡りつづける。この致し方のない堂々巡りをここでは輪廻と呼んでいる。
「ゼロポイント」は人間が抱えた「空虚」だが、この「空虚」はひたすら虚しいという意味ではなく、自我の自己絶対化からの自由になった瞬間、点を意味している。
ここは、とらわれの環からの出口でもある。
「ゼロポイント」に気づき、さらにそれを利用して上昇しなければ放蕩息子は家に帰ることができない。
では、
『「ゼロポイント」に気づき、それを利用する』
とは、どういうことだろうか。
それまでの習慣的なものの観方の根本的な変容かもしれない。
あるいはひょっとして、そのままであることかもしれない。
なんだ結局いままでどおりじゃないか、ということかも。
それはわからないが、ダイヤグラム上では、たとえば次にしめすような「反転」が起こらなければ、「自我」は「三」—「四」間で「輪廻」しつづけなければならない、としてみる。
【反転した「下」の四角錐が「上」の四角錐に重なり、「本来の」ピラミッドに】
ひとたび「反転」が起こると、「自然力によるシフト」、そして「宇宙的シフト」とあるように、「努力する」日常とは全く別の次元で、自動的に人間は本源に還っていく。
このプロセスが「四」→「五」→「上」で、人間という存在にはこれらすべてのことが可能性として潜在している。
これが全体を四角で囲ってその全体を「人間」とした理由である。
最後にもうひとつ。
それは、人間は本来「本源」であり、その「本源」は不死であるということである。
それは、ダイヤグラム上では、正八面体をつらぬく中心線、アクシス・ムンディ(世界軸)として表現される。
まあ、すべてはお遊びだ。
本当かどうかはだれにもわからない。
それでもよろしければ、おつきあいのほどを。
いましばらく。


