ゼロに未来はあるか | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

☆ おことわり ☆

以下の記事は映画「ゼロの未来」にまつわる個人的感想です。正しい内容紹介ではありません。

鑑賞後の感想であり、映画「ゼロの未来」の内容・結末に関する具体的描写を含みます。

この映画を観ていない方は読まないかあるいは、もし読んでいただけるのなら、映画を観た後に読んだ方がいいかもしれません。

   ☆

ずっと楽しみにしていた「ゼロの未来」を観る。
おもしろかったというか、期待どおりだったというか、宝物の様な映画がまたひとつふえた。

何年かぶりに買った映画のパンフレットは横長で、昔よく眺めていたシネフェックスの日本語版を思い出させる。

パンフ

【「ゼロの未来」映画のパンフ】

「ゼロは100%でなければならない」

すなわち、すべてはゼロでなければならない。
ゼロでないものがあってはならないし、
そんなもの、この世にあろうはずもない。

でもそのことは「証明」できない。

人間複合体は己の中心にこの爆弾のようなゼロを抱えている。
Qスーツを着たコーエン(主人公)は、LINK ERRORを起こしたのではなく、己の魂とリンクした(*1)。

現実のハードウェアで構成されるメインフレームとつながったわけではない。そのシステムの判断では画面に現れたメッセージ通りLINK ERRORなのだが、魂との関わりにおいてはCONNECTEDなのである。

CONNECTした魂。

顕在意識からするとデータのブラックホールのようにも見えるそれは、ゼロポイントそのものであり、コーエンはラストにそのブラックホールに身を投じる。

そこにはあの、たそがれのビーチがあった。

女(ベインズリー)は不在だ。

そもそもそこにはなにもなかった……
わけではなくて、最初からコーエンしかいなかったのである。

そして、たそがれのビーチは本当にたそがれて、やがて長い長い夜がやってくる。

映画はそこで終わる。

観終わった後、気分がよかった。
当日の晴天のせいもあったろう。
妙にすっきりした気分で身体が軽くなった。
あれでいいんだ、という感じがした。
その感じは数日持続した。

—— ゼロに未来はあるのか?
という問い(Q)については……

未来はない。
過去もない。
おそらく現在もないだろう。

ゼロはゼロなのであり、ゼロの定理はあまりに自明であるために、証明……以前に、対象化不可能である。

それを証明しようとすることは眼にその眼自身を見ろと命ずるようなもので、探求者はたちまちのうちに自己言及の迷宮に入り込んでしまう。
こうしてコーエンは自宅の端末を破壊する。
トンカチで。
これはすぐ修復されるが……
化け物のようなメインフレームも破壊する。
トンカチで。
これはトンカチでぶっ壊れてしまう。
そしてそこに姿を現すのは例のブラックホール。

—— コーエンに人生の目的を告げる電話はかかってくるか。

もちろん「人生の目的」などもない。
すべてはゼロなので。
あるのはそれ、0のみである。
いや、ふつうの意味での「在る」ともいえない。

0は0なのだ。

それ以外の何物でもないし、何物にもなれないし、何物である必要もない。
コーエン(というのも単なる記号名だが)=0であり、それがすべてだ。

逃げも隠れもしない。
できない。
する必要もない。

—— すべては0というのは虚しくないだろうか。

そんなことはない。虚しくはない。
というより、
虚しいとか虚しくないとかを区別する意味がないのである。
すべてが0なのだから。
今も昔もこれからも。
結局すべてが0で、オレもオマエも0なのだから。
0が0の中で何をしても0で、
そもそも「何かする」ということ自体が0なのだ。

   ☆

ひるがえって、自分(実は0)のことを想ってみる(「想うこと」も0)。
なんで「易システム(これも0)」なんかをいつまでもいじくりまわしている(いじくることも0)の?

改めてきかれると少々困ってしまう。

だけどほら。

コーエンがラストにビーチボールをポーンポーンとやっていたでしょう。
やがてボールが太陽に重なって、太陽になって。
コーエンは太陽そのものをポーンポーンとやりだすのだけれども……
あれですよ、あれ。
ポーンポーンするのはおもしろいし、愉快だからです。

トーラス

【遊びのひとつ。トーラスの「皮」をむく。映画には関係ないけれど】

易システムをいじること、飯を食らうこと、酒を飲むこと、本を読むこと、皿を洗うこと、仕事をすること、買い物をすること、映画を観ること。
雑多な「~すること」。
そのうちのひとつである人間にとっての「生きること」はあのビーチで太陽をポーンポーンとやることなのではないのでしょうか。

やがてそれにもあきるとポーンポーンもできなくなり、夜の帳が訪れる。

夜はおねむの時間。

でもずっとは続かない。
夜はやがて明けるのである。
必ず。

映画ではそこまで描かれてはいなかったけれども、暗闇の中で彼女が、ベインズリーの声が、耳元で聞こえていた。

「コーエン」

「コーエン」

「コーエン(起きて(*2))」

そして永遠の問いであるコーエン(公案)は目を覚ます。

そうだと思う。

たぶん。


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(*1)
ちなみに「Q」の尻尾(リンク・ケーブル)が抜けると「0(ゼロ)」になる。

(*2)
手前勝手な追記。たぶん幻聴。