「第四のものとして、全一なるものの生じ来たるなり」
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前回は、マリアの公理の最終節「全一なるもの」は結局、人間のことではないのか?というところで、話は終わっていた。
「大成卦と正八面体」シリーズでは、「ひとつの大成卦=ひとつの正八面体=一個の人間」として観たてている。
となると、正八面体の水平断である正方形は、一個の人間のさらにその本質ということになる。
マリアの公理に照らし合わせれば、この人間の本質が「全一なるもの」である。
もう一度、正八面体の各部分に観たてた意味をふりかえってみる。「大成卦と正八面体2 — 創造の6ステップを拡張する」で示した図を再掲する。
【各頂点に新しい定義を追加した正八面体】
「大成卦と正八面体」シリーズの観たてによれば、この全体が一個の人間である。
「一個の人間」などというと、いかにも一枚岩のような統一体を連想するが、実際のところ、人間はさまざまな要素の多重的多層的複合体である。
それら構成要素間では必ずしも統一がとれているわけではなく、むしろバラバラであることが当たり前で、その総体が人間と呼ばれる「パターン」ではないのか。
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そういったことと、今まで「易システム」の中で眺めてきたシステム構成要素を盛り込んだ図が次のマンダラである。書き込む事項が多くなったので、正八面体には申し訳ないが、いったん二次元の平面にぺたんとノビていただいた。
【正八面体=大成卦=人間 マンダラ】
「人間複合体」は、主に二、三、四、五で示した要素から成り立っている(と、易システムでは観る)。
この4つは、拙作「易システムハンドブック」で提示させていただいた「魂のテンプレート」でもある。
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「魂のテンプレート」は、その後もう少し一般化して、単に「テンプレート」とした
この「テンプレート」は、それ自体人生という旅の縮図としても観ることができ、
その経路を日常時間(t)としてマンダラ上に描いた。t がたどる左回りの楕円上からは五(N)と二(G)は外れている。G(二)はOD(三)を支える背景であり、N(五)はこの輪廻をたどる限り到達することのできない理想状態(テンプレートでは先天大成卦であらわされる)であって、経路の通過ポイントではないからだ。
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「魂魄結合力」とある、初—四、二—五、三—上の対応(破線)は、大成卦上では「応・不応」の関係であり、上下卦を結びつける作用。
ところで、「風と羅針盤」では、大成卦をひとりの人間として観たてたとき下卦を不可視の基盤=魂とした。
一方、マリアの公理にしたがって正八面体/大成卦を眺めていると、魂は上から下り、魄(身体)は下から昇り、正八面体の水平断である正方形の人間として結実するようにみえる(前回記事参照)。
正八面体はひとりの人間、ひとつの大成卦だから、このときは上卦=魂となって「風と羅針盤」の大成卦=人間として観た場合と逆になる。
「魂」が下卦になったり上卦になったりと、混乱するかもしれない。
この混乱は、「魂」という言葉をアイマイに用いていることに起因している。
下の絵に示すように「風と羅針盤」でひとりの人間として観た大成卦と、正八面体/ひとりの人間として観た大成卦では、表現しようとしているクラスが異なる。
【日常的自己と宇宙的自己】
「風と羅針盤」で描こうとしていたのは、「スピリット」から成る「日常的自己」であり、眼に見える身体は「スピリット」がその性質を粗くしたものである。
正八面体/大成卦が描くのは、「ソウル(*1)」と「スピリット(*1)」の複合体としての人間、「宇宙的自己」だ。
なんだかいいわけがましい説明だが、二元的表現には常に矛盾がつきまとう。
魂魄の「魄」は道教的には肉体を支える気で、マンダラにおいては四の「気/鋳型」に近いが、ここでは物質でもある物質と表裏一体の「魂」である。人間は、この物質寄りの魂と天上の魂が二重に複合した存在ということになる。
二重の魂はもちろん易システムのオリジナルではなく、ゲリー・ボーネル氏の「ダイアード」/「トライアード」や、男性における「アニマ」/女性における「アニムス」、ドゴン族の神話などに、人間は二重の(対の)魂によって構成されるという概念がみられる。
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さて、お話は「正八面体=大成卦=人間 マンダラ」にもどる。
マンダラの中心は「ゼロポイント」であり、この「ゼロポイント」を経る三から四への経路が「ギャップ」であり、上下卦の狭間ということになる。地上的魂と天上的魂の接点、この「狭間」こそが、人間の「本質の本質」ではないのか……とうことで、「人間の核」とさせていただいた。
「日常的自己と宇宙的自己」の図を見ると、GAP、すなわちこの「核」は日常的自己から観ると上爻を超えたその上に位置している。これが意味していることは、「核」はふだんの生活からはうかがい知ることができない、ということだ。
これが、日常的自己から観た7番目、6(上爻)+1である。
人間の核は爻であらわすことのできない、爻と爻の「間の空間」ということになる。
わたしたちはそれぞれに、この得体の知れない「空虚」かかえた存在なのだが、この「空虚」こそがわたしたちの主題、人間が人間である最大の理由をあらわしている……と、易システムでは観る。
次回はそんなお話ができれば、と思う。
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*1 「ソウル」と「スピリット」
どちらも易システムにおいては、独自の意味で用いている。スピリットは「器」でソウルはその「中身」。中身はそのままで完全であり、器は中身のレベルに至るまで進化し続けようとする。以下は「風と羅針盤」の用語集より。
→スピリット
この言葉にはいくつかの側面がある。本源から区分された生命活動の器となる部分またはソウル(魂)の器になるもの。万物のエッセンス。万物の核に埋め込まれた傾向の総和。私たちのくらすこの宇宙の基盤である「無極」がベクトル化したもの。等々。
→ソウル
本源からわかれた(区分された)生命の実質となる部分。スピリットが形作る器と組み合わさることにより、生命活動が行われる。ソウル自体は時間の観念をもたない。


