二月のアタマの話になるが、
風邪をひいた。
朝からわずかな悪寒を感じてはいた。
変だなと思っていたら
夕方になって悪寒は全身に広がり、
筋肉や間接は痛みだし、
だるくなってきた。
閉まりかけた病院で熱を測った。
39度あった。
39度と聞かされたとたん、
アタマはモーローとしてきて、
ドクターに聞かれたこともよく解らずとんちんかんな返答。
ドクターにも、薬剤師のお姉さんにも、
「つらそうですね」
と、苦笑される。
頚から下はだるさと痛みと悪寒で、へろへろ。
頚から上はまるでサウナに入っているようで、
もわ~っとしているのである(*1)。
薬の引き換え券を見たら「115」とある。
普段は八面サイをつかって卦を立てているので、
三桁の数字を見てつい、
『11。純卦だ。乾為天。115。五爻、飛龍在天』
とやる。
もちろん、爻辞を全部覚えているわけではない。
乾為天の五爻は超有名な「飛龍在天」だったから覚えていただけ。
爻辞は覚えていたけど一応、ひっくり返してみる(*2)。
『之卦は大有か。天空高くお日様ギラギラだ』
【乾の大有に之く】
モーローとしてはいたものの、
易卦を思い浮かべるくらいのことはできて、
なるほどな、とひとりで感心していた。
乾為天のイメージは比較的わかりやすく(*3)、
龍が深淵から躍り上がり天高く飛翔し、
昇りすぎて、ついには血を流しつつ、
陰陽の龍は相争う。
六つの爻はこのいずれかの段階を示す。
五爻は龍がもっとも高く昇りきった位で、
エネルギーに満ち満ちている。
ていうか、
エネルギーに満ち満ち「過ぎている」。
つまり龍は、この風邪、発熱そのものであり、
今がまさにピークというわけだ。
インフルエンザは陰性反応だったけど、
そんなことはあまり問題じゃない。
ウイルスだって生きている。
この熱、このふらふらはウイルスの生き様そのもの、
一匹の巨大な龍(*4)なのだ。
別名タオと呼ばれるこの龍(*5)は
ふだんはあらゆるものの背後にあって、
そのすき間に入り込み、
あらゆるものを駆動する根源的な力になっている。
それがなにかの拍子に、
たとえば身体に入り込み、
無数に増殖するウイルスの奔流となって、
ぼくのようなドンカンな人間にも、
その存在が感じ取れるようになることもある。
環境はこの流れと連動し……ていうか、
自分も環境もなく、本来すべては、
この流れそのものであるという証拠を、
たとえば薬局の薬の引換券の番号などで、
どうだ、と言わんばかりに誇示してくるのである。
こんな時、占術はてんで無力だ。
占うこと自体もその流れの中で、
「占わされて」いるようにさえ感じる。
「事前に結果を知って危険があれば回避する(*6)」
といったニンゲンの小賢しい知恵など、
どこかへ吹き飛んでしまう。
立春の嵐はようやくと首無し龍の群れ(*7)になって、
いずことも知れずに去って行ったが、その頃は、
ふらふらアタマで115に出会ってから、
はや一週間もたっていた。
ああ、はやくあたたかくならんかな。
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(*1)「もわ~っとしているのである」
感じようによっては、酒も飲まないでキモチイイ。
安上がりだけど、シンケーが煮えているかもしれない……
というシロートくさい不安も。
(*2)「爻辞は覚えていたけどひっくり返してみる」
我流だが、爻辞を全部覚える必要はないと思っている。
爻辞がわからなければその爻をひっくり返して之卦を観ればよい。
そういう法則性があるわけではないが、
之卦とその意味が連動している爻辞もたくさんある(と思う)。
乾為天の五爻と大有はイメージ的に連動している(ようにぼくには思える)。
(*3)「乾為天のイメージは比較的わかりやすく~」
初九、潜龍(ひそんでいる龍)
九二、見龍(あらわれた龍)
九五、飛龍(天高く舞い上がる龍)
上九、亢龍(舞い上がり過ぎた龍)
三、四はギャップ前後の位で「×龍」の表現はない。
(*4)「一匹の巨大な龍」
龍の数え方は「匹」でいいのだろうか。
だれか教えてほしい。
(*5) 「別名タオと呼ばれるこの龍」
タオはもちろん、数えられない。
(*6)「事前に結果を知って~」
これは比較的狭い意味での占術の捉え方である。
易システムではもう少し別の捉え方
——世界観であり、かつ、質問者・占者を巻き込む記号過程——
という捉え方をする。
(*7)「首無し龍の群れ」
「用九。群龍首なきを見る」より。
易の本を見るとそれなりの説明があるが、
それぞれの著者なりの解釈であることに留意しよう。
卦爻辞は一体に謎めいている。
