風沢チュー孚 | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。


☆ 前回の続きです ☆

さて、お仕事の見通しやいかに?
という占的の方ですが、こちらはもう素直に読みました。

しつこいようですが、以前の記事、

「得卦は宵闇の夢にも似て~スイングする回答」

に書いた「2:質問(占的)に対する正確な答えや、解決策を提供してくれる卦」のケースであろうと観た、いうことです。

中孚の益にいく

【中孚の二爻変、益に之く】 

卦辞は「豚魚に通じる誠心あり。大川を渡るによろしい」。

「大川を渡るによろしい」。
決まり文句ですね。
爻辞は「物陰で鶴が鳴けば子がそれに応じる。我によき杯あり、我、これを汝とともにせん(拙作ハンドブックより)」。

親と子。さしつさされつ。
爻辞はパートナーの存在を暗示しているように観えます。

「風沢チュー孚、キッスの象」と幸田露伴が言ったとか。
これは、下卦「兌」を上を向いた口、上卦は「巽」ですがこれを倒兌、ひっくり返った兌、下を向いた口と観て、口と口が三四爻でくっついているからキスというわけです。
キスも一人ではできないですね。
相手が必要。

で、この占でのポイントは、

・パートナーがいるということ。
・そのパートナーはこちらに呼応してくれる存在であるということ。
・策を弄したり損得勘定ではなく、誠実に仕事しなさいということ。
・上記に反しないかぎり、冒険してもよろしい。

そうすれば、之卦の「益」、利益があるというわけですが、そうなったときの益は単なるショーバイ上の利鞘ではなくて、「さずかりもの」といった益になるでしょう。

否から益

【「益」は天地否の交代生卦】

之卦の「益」は、天地否の交代生卦、天地否の天から一陽が落ちてきた象で「さずかりもの」というわけです。これがまた前回に書いた「子供でもできたのかな」の連想につながったのですが。

回答としては、

「悪くはないが今はまだ成果がみられない(鳥が卵をかかえている時期)。必ず呼びかけにこたえるパートナー(卵の中あるいは物陰から応えるヒナ)が必ずいるはず。今はとにかく誠実に進む。そうすれば近いうちに成果がある。」


☆ 結局使わなかった「易システム」 ☆

話としては一応ここで終わったんですが、考えられる追加の質問としては「近いうち」とはいつか、「パートナー」とはだれかということでしょう。

「近いうち」は、二爻が変じて即、「益」になっていますから、ほんとうに「近いうち」です。

1単位にも満たないかもしれません。「単位」の長さのだしかたについては前回記事を参照してください。

パートナーはだれかというのは、この得卦の様子ではご本人にはもう明確すぎるほど明確なのかもしれません。

そこまできかれませんでしたが、もし複数考えられてそのうちのだれかということになったら、拙作「風と羅針盤」で紹介させていただいた「フランクリン・マトリクス」が役にたったかもしれません。

このマトリクスは六四卦を4つづつのまとまりにわけたもので、この4つの卦は、電車の同じボックス席に居合わせた「旅の仲間」という想定ですから、自分自身を示す得卦(この場合は中孚)以外の三つの易卦の中にそのパートナーがいる、といわけです。

Fマトリクス上の中孚

【「フランクリン・マトリクス」上の中孚とその「旅の仲間」】

ひとつにしぼれないところがクヤシイところですが、構造からいうと、基準となる易卦(この場合は得卦の中孚)の倒卦(リバース)がもっとも近い「仲間」ということになります。

ところがこの中孚のように逆さま(倒卦)にしても変わらない、自分自身になってしまう易卦もあります。
その場合はその易卦のすべての爻の陰陽を反転した易卦(裏卦、インバース、易システムではツイストペア)が、その「もっとも近い仲間」になります。中孚の場合は小過がこれにあたります。

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この「もっとも近い仲間」のペアは、レガシー(*1)における大成卦の並びで、となりあったものどうしです。

あるいはまた、この4つの易卦を意味と、相談者からのヒアリング内容を勘案して判定します。上記のように機械的に判断するのではなく、むしろ意味から判断した方が直観が働いていいかもしれません。

結局、この易システムによる観方も今回は使うことはありませんでした。
これは裏をかえせば、大方の日常占にはレガシーにおける仕組みで充分ということなのかもしれません。そのように鍛えられ発展してきたものでしょうからあたりまえかもしれませんが、やはり伝統は偉大です。

「レガシー、レガシー」というと、ギョーカイ(コンピュータ業界)では「レガシー・システム=古くさい厄介者」というニュアンスを帯びたりしますが、易システムではそういう意味で使っているわけではありません。

レガシーは遺産であり、基盤です。


☆ ところで最後に ☆

これも気づかれた方がいらっしゃるかもしれせんが、前回の「大過」と「中孚」、これは上下卦をそれぞれ倒立させた卦どうしの関係になっています。

大過と中孚

【「大過」と「中孚」】

易システムには(おそらくレガシーでも)この関係についての定石的観方はありませんので、その場その場で象から判断するしかありません。

ひょっとしたら「仕事」と「転居」がウラハラの関係になるようななにかの事情が潜んでいるのかもしれません。あるいは、大過では、兌が互いにそっぽを向いて反目し合っている象でもありますから、夫婦仲になにかあるのかも。

やたらなことをいうとひっぱたかれますから、まあ、今回は課題とさせていただきます。

プロの方には言わずもがなですが、最初に相談者が何を求めているかよく見極めてから判断しましょう。

・正確な答えを求めているのか、
・なんでもいいから回答を得て安心したいのか、
・自分の話を聞いてほしいのか。

たいがい「全部!」でしょうが、
かならずそこには強弱があります。

老爺心ながら。

ではまた。


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(*1) 【レガシー】
「易システム」以前の、「易経」やその周辺ドキュメント、慣習的解釈によって意味づけられた「易」。いわゆる「伝統的な解釈」。
「いやあ、御社のレガシー、なんとかなりませんかねぇ」
(とっととウチの新しいの入れてよ、今期売り上げヤバいんだからさあ)
↑こういうタイドで仕事をしていると「益(さずかりもの)」はないと思います(笑)。