易システムとしては、先天図をその母体してとらえることができる。
ただ、このレベルはあまりに元型的で日常世界とはかけ離れている。日常とはひとつづきのものではあるけれども、はるかに深いところから各個人に対し共通的に影響を及ぼす原動力だ。
もっと個人的なレベルでの物語の環は、「風と羅針盤」の中で、WOL(ホイール・オブ・ライフ)とそのWOLが乗る輪廻の環、GW(グレート・ホイール)として提示させていただいたが……これらの環を導く手順が煩雑なのと、たくさんの大成卦が並ぶことになるので判断もしづらい。
ちょっとあっさりしすぎてしまうかもしれないが、より簡便には「テンプレート」をその環として観たてることもできる。
テンプレートについては「魂のテンプレートから、ただのテンプレートへ」でも述べさせていただいたが、4つの大成卦からなる「環」である。
テンプレートでは、あるひとつの大成卦が決まれば他の3つの大成卦は自動的に決まる。
これがどのような物語の環になるのか。
以下、基準になる卦を「85:地風升」とした例で、順を追ってみてみよう。

まず、OD(85:地風升)。
これが基準になる卦だ。すべてはここから始まる。日常的な意識としてのあなたである。
ダイヤグラム全体は大きく、上半分と下半分に分かれる。上と下をわける水平線は地面である。上半分は明るく陽がさしている。下半分は暗い地下だ。
旅はこの地下へとゆっくり降りていくことから始まる。
「t」であらわされる左回りの円の経路だ。
まず、地下へと足を踏み入れる。異界への参入だ。
そしてこの、地下へ降りてゆくプロセスは、G(55:巽為風)で最も深部に達する。旅の先天図でいえば中心、ヴォイドにあたる。ここが物語の第一の山場だ(地下だけど)。
地下の旅はここから上昇に転じる。そしてふたたび地上にはいあがったときに、ODは自分の失われた断片を発見するか、積年の課題と相対することになるのだ。これが第二の山場、Iである。
第二の山場をなんとかのぼりきると、旅人は中天の太陽を目指して上昇していく。この太陽がNだ。Nは一種の理想像で、一瞬、かいま見ることはあるかもしれないが、おそらくはそこに到達することははない。
もし、仮に、万一、そこに到達することがあるとすれば、それはこの旅の環からの離脱を意味する。旅の終わり……ではなく、旅そのものがもう不要な領域への移行だ。逆にいうと環からの出口はNにある。
ここがこの旅のクライマックスだ。環から離脱せずにこの中天を過ぎた旅人は、もといた地上への帰還を開始する。
地上で待つ同胞たちに自分が垣間みたものを伝えるためだ。
地上へもどった旅人は、多少は日焼けして、多少はやせて、多少は老けているかもしれないが、一見、出発したときと変わらないように見える。
だが、その日常的意識(自我)は、もはや無意識とは他人どうしではなく、さらに無意識と調和するようになっており、自己の境界は確実にひろがっているだろう。
以上をカンタンにまとめると、
「自分の失われた断片を求め、地の底をくぐり、一段深い自我へと回帰する道程」
ということになるだろうか。
易……千変万化な大成卦の集合を眺めることは、システムとの対話であるとともに、ロールシャッハ・テストのようでもある。
おそらくシステムは、これ以外にもさまざまなストーリーを隠し持っているにちがいない。