「失せもの?占」、きたない読み方 | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

かみさんがシブい顔をしています。
どうしたのかときいてみたら、
職場にハンディカムを置きっぱなしだというのです。
ほんとは使ったらすぐに持って帰ってくるつもりだったらしいんですが、忙しさにかまけてすっかり忘れてしまっていた……どうもカギのかからないところに置きっぱなしにしたようで、結局は次に職場に行った機会に確認するしかないんですが、本人は気になって仕方ない。


じゃ、占ってみたら?


といったら、珍しくサイコロを振っていました。
で、やおらぼくの方を向くわけです。


これどういう意味?


自分がサイコロふったんだから、自分で読んでほしいものですが(「易システム・ハンドブック」も、さりげなく手の届くところに置いてある)、こういう時にさからうとこわいので、サイの目をのぞきます。


   ☆


頤の二爻で、損。
ぼくは占い師じゃない-頤の損へいく
真っ先に思い浮かんだのはあんまりよくないイメージで、「頤」はアゴのカタチであんぐり開いた口、びっくりしてポカンとしているような人を連想してしまいました。
つまり、あるべきところにあるものがなくて、「あら~」となっている構図です。ポカンと開かれた口にはなにも入っていません(二~五陰爻)。


頤卦の卦辞は、
「ただしくあればよし。他人の食べ方、食べるものをみて、自らの口を満たす。(拙作ハンドブックより)」。
二爻爻辞は、
「常識とは逆に、初に養われる。とはいえ、上に養われるには遠すぎる。すすんでことを起こすことなかれ。(同上)」
と、あります。
他の例にならうことと、意外性を示唆しているようにみえますが、釈然としません。
卦爻辞はこのケースではあまりあてにならないようです。


かみさんはもう、気になって仕方ない。
「どうなの!どうなの!」と、せまってきます。
卦爻辞はアテにならないとなると、卦のカタチと最初のイメージが頼りということになるのですが、カタチ(空っぽの口)とイメージ(なにもないことにびっくり)は明らかに、


「No!」


さりとてそれをそのまま、「ねえな」と冷たく伝えるわけにもいきません。なにせ相手は必死なのです。オーバーかもしれませんが、必死に「あるよ」という答えを期待しているのです。


アタマをかかえてしまいます(もちろん心の中で)。
ぼくはプロの鑑定家ではありません。
でもプロの方々も始終こんなジレンマに悩まされることは想像できます。
で、プロではないので、その辺の処理がうまくできずに……


「まあたぶん、大丈夫だよ」


と、テキトーなことを言ってしまいました。


ところで、風雷益という卦があります。
ぼくのとぼしい経験からいうと、失せもの占で風雷益が出たときはとりもどせないことが多い。
卦のカタチも、風雷益は、もともと天地否で四爻位にあった陽爻が、落とし物・忘れ物のようになって、初爻位に落ちてきたようにも観えます。


ぼくは占い師じゃない-否から益へ
かなり変則的な観方になりますが、この相談では、之卦が山沢損で、この倒卦が風雷益になります。つまり、風雷益(紛失)の反対(倒卦)が山沢損(失ったようにみえるがもどってくる)で……まあ、たぶん大丈夫だよ、ということにしたわけです。
かなり苦労して読んでいます。
之卦から観るなんていうのは、変則的……どころか、ほとんどこじつけ。


ぼくは占い師じゃない-益から損


でもやっぱり、


「ごめん、なくなってるわ」


とは言えませんでした。


ずるい言い方ですが、「まあ、たぶん大丈夫だよ」のあとにこうもつけ加えます。


「あ~でも、もし、思ってたところになかったら、どっかこう、なんでもいい、上の方をさがしてみるとあるかもよ、まあなんか積んであるものの天辺とか」


これは山沢損の卦のカタチから判断したものです。
損はもとの地天泰の三爻の陽爻が、上爻位に押し上げられたようにも観える卦で、ターゲットが上の方にあることを示しているようにもみえます。
上卦「艮」は山、高いところ、もりあがった場所・もの。


ぼくは占い師じゃない-泰から損へ

かみさんは一応は安心したようでしたが……
相談者が落ち着いたのならそれでよしとするか。


まあ、アマチュアはこんなもんです。


   ☆


結局、ハンディカムは無事でした。
ただし、かみさんが思ったところになかったそうです。


どっか「上」の方にあったでしょ??


と勢い込んできいてしまいました。

最初は、あ、ない!と思ってびっくりしたそうですが、引き出しの手前の方から「奥」へと、引き出しの開け閉めやアクセスによって、押しやられていたそうです。


ない!と思ったところまでは、あんぐり・びっくりで、「頤」。之卦の山沢損は、そうか、上爻は、上は上でも、引き出しの中の「上」、天辺=奥と観るべきだったんですね。
三次元方向の「上」ではなく、二次元方向の「上」。向こう側・奥。


あたらずといえども遠からず。
ま、あったんだから、いいか。
しかし、易はおもしろいです。