決して安い買い物ではないので、一応卦をたててみる。
占的は、
「ほんとうに今のぼくにとって役立つモノかどうか。
無駄な買い物にならないだろうか」
☆
せっかく半年かかって貯めた500円玉だ。
無目的に衝動買いというわけにはいかないし、もとよりそんな余裕もない。
iPadを買おうと思ったのはその上で動くiMandalArtを使いたかったからだ。
マンダラートはアイディアツールの一種(ほんとはそれ以上!)なのだが最初は手帳として創られた。
【マンダラート手帳。もう売ってない。いくらしたの?
妻に聞かれたが、おそろしくてとてもいえない値段】
この「マンダラ」は、金剛界曼陀羅と同じく9つのマス目(セル)からできていて、中心セルに記入したテーマ(問い)から周囲8つのセルそれぞれに連想を広げていく。
必要に応じて、各周辺セルをそれぞれ独立した中心セルとして新しいマンダラをつくり、階層化することができる。
【今泉浩晃「創造性を高めるメモ学入門」日本実業出版社より。
ナナメっちった。ゴメン】
中心セルを除いた周辺セルは全部で8つあり、易システムと相性がいいのは一目瞭然である。
【ノートに描いてあった大成卦のマンダラ。
日付を見ると97年10月、とあった。
よっぽどマンダラが好きだったのだろう】
だからというわけではないが、結構気にいっていて、手帳の頃からずいぶんお世話になっていた。
電子版ではその後、Mac(ハイパーカード)版、Newton版、Windows(VB)版、PalmOS版がリリースされた(順番はイイカゲンかも)。
カイシャのパソコンがWindowsだったので、Windows版をよく使っていた。
電子版のマンダラを持ち歩きたかったので、当時絶滅の危機にあり20万近くしたNewtonを買おうかどうしようか本気で悩んだりもしたこともあった。
この時点ではPalm版は出ていなかったと思う……記憶はアヤフヤである。
なんせ昔の話だ。
そんな時代も去って、専らマインドマップを使うようになっていたのだが、iPad上でマンダラートが動くことを知って、またマンダラートも使ってみようかな、と思った。インターフェースも新しく、持ち歩ける。
iPadなら分厚い「易システムハンドブック」も一緒に持ち歩けるだろう。
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それで、卦をたてて得たのは「86:地水師」の五爻。
師の五爻は、「狩りして獲物あり」。
だからまあいいだろう、と。
辞占というのもおこがましい、雑駁な読みだ。
「師」は、たったひとつの陽爻である二爻が陰爻である他の四爻を統べる象である。
二爻が隊長、師団長であり、二爻よければすべてよしというわけ。
それはそうだ。もちろんそれだけじゃないけど、ヘッドがしっかりしていなければ軍隊は用をなさない。
で、それがその、占的である買い物の是非とどう関係があるの?
ようするに「師」=軍隊というイメージと、それが買い物の相談にたいする回答であるということがうまくかみ合っていない感じが残ったままになっていた。
こういう感じを残したままというのは、ほんとはあんまりよくない。
コロコロ代わるどこかの国の総理大臣みたいに、放り出すクセがついてしまう。それではいつまでたっても活断はできない。とりあえずコジツケでもいいから、観じたことについては一定の結論を出し、できれば記録しておくことがのぞましい。
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iPadを使ってみてまずめんくらうのは、アプリケーションに「終了」という概念がないのと、ファインダーやエクスプローラといった、OSが提供するアプリケーション間共通のファイル管理ビューがないことである。
前者は、ぼくのような、限られたメモリ空間で生きてきた旧世代の人間にとっては、ケツをふかないままトイレを出るようなもので、最初は非常に落ち着かない。
後者の仕様(というよりカルチャー)は、パソコン上で使っていた同じアプリケーションを、iPadで使うとなるとよけいにめんくらうことになる。
マンダラは「どこに」保存されるんだ??
デスクトップ?
いやいや、Palmでもそうだったが、iPadでも一見デスクトップに見える画面は、じっさいのところはデスクトップというよりアプリケーション・ランチャである。
Windows版ではどこでも好きなところに好きなようにマンダラファイルをつくって保存しておけばよかった。
それらマンダラの保存場所、カテゴライズや整理はユーザーにまかせれおけばよかったのである。
ところがiPad版ではそうはいかない。
ユーザーが創ったマンダラを管理する枠組みは、アプリケーションが提供する必要がある。
ユーザーが創った任意の深さのマンダラを、ただただ、のべたんにリスト管理するという選択肢もあったかと思うが(こういうのを「フラットランド」という)、iMandalArtではそうはなっていない。
「マンダラート」であるからにして、ユーザが創るマンダラ管理のフレームも当然、マンダラなのである。
ここに来て、ようやっと、「師」の意味が判ってきたかな、という……
なんだかしまりのない占例の話になってきた。
☆
「師」の二爻は他の四爻を統べる。
ポイントはこの二爻がなにをあらわしていると観たてるかだが、それがこの、マンダラを管理するマンダラではないのか、と思ったのである。
話は占的のiPadからマンダラートにズレてしまっているように思われるかもしれないが、マンダラートを使うためにiPadを買ったわけだから、そこはまあ、よしとする。
マンダラを管理するマンダラはiMandalArtの場合はトップにある。
このマンダラは、
ユーザが創るマンダラへの入り口(GET)、
テーマつきのユーザが創ったマンダラへのショートカットおよび時系列マンダラへの入口(MANDA)、
ユーザが創ったマンダラへのショートカット(LA)、
そしてヘルプ(ART)でできている。
【iMandalArtトップビュー】
このへんが「師」の二爻にあたるんじゃないのかなあ、と。
ここんとこがシッカリしていれば、すべてよし。
この師団長がイイカゲンだと、なんじゃこのアプリは、ということになるのである。
Windows版には、ヘルプのマンダラはあったが全体を統べるようなマンダラはなかった。
創りたければユーザが自分でつくればよかった。
「師」でいうと二爻がないわけで、二爻のない「師」は「坤」になる。
これもまたオモシロイ。坤は大地。ハハ。オフクロ。袋である。
だれも、なにも、統べるものなどない。
時につれ、折にふれ、創られたマンダラは、一般的には、MyDcumentと呼ばれる「袋」の中へ、とりあえずゴチャっと放り込まれていた。
「師」の二爻は他の四爻を統べる。
ポイントはこの二爻をなにに観たてるか、だ。
経文をみているとついつい特定の「人」だと思い込みがちだが、出来事や概念、今回のようカタチのない「設計」なんてものでもいいわけだ。
卦や爻は、特定のものと一対一に一義的に結びついているわけはではない。アイマイである。
いってみれば、そのアイマイさが易卦が森羅万象を指し示すための仕組みになっているのである。
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で、結局、買ってみて使ってみてよかったのか悪かったのか。
これがまだ、エラソーに評価できるほど使い込んでいないのでなんともいえない。
買って間もなく、ジョブズは他界するし、OSが5とかいうやつにカッテにバージョンアップされるし(てかまあ、「更新」を選んだのはワタシですが)。
5は、iCloudとかいうのがウリらしいが、iPadオンリーのユーザーにはあまりご利益がなさそうな、それこそ雲をつかむような仕組みだ。
「師」の五爻変、伏卦は「坎為水」となる。形勢はなお流動的である。
ジョブズも雲の上。
そういや、雲も水蒸気、「水」。
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しかし手帳にチクチク細いボールペンでマンダラを描き込んでいたころから思うと、手垢のついた言い回しだけど、隔世の感がある。
洗練されたインターフェースで、ちゃっちゃとマンダラを展開し、階層をたどっていくのは一種爽快でもあり、オールドユーザーにとっては感動ですらある。
以下はこのブログ のために起こしたマンダラ。
思いつくことを周辺セルにランダムに書き出し、記述のためにリニアに並べなおす。
上のマンダラはセルを並べなおしたあとのものだが、このやり方は、最も基本的なマンダラートの使用法である。
手帳だとモサモサするが、iMandalArtならスマートに、すぐできる。
マンダラ上で「リニア」を表現するには、提唱者の定石によれば、右回りの「の」の字に並べる。
得卦の判断でいきづまったときは、マンダラの真ん中のセルに得られた大成卦を置いて、じっとにらむと……
周辺セルにヒラメキがあらわれる……かもしれない。
さてあなたには、周辺セルになにが観えますか。