うごいてみる | ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press


「大地の心理学」
アーノルド・ミンデル著
青木 聡 訳、富士見 幸雄 監訳
コスモスライブラリー



まじり気なく晴れあがった今時分の朝。
菊坂を自転車でくだりおりるのは、
ためいきがでるほどここちよい。

   *

そんな自転車が出てくるお話を書いたことがあった。

お話にでてくる社会では主な交通手段は
自転車になりつつあって……

その自転車は「大地との同意」にもとづいて、
自然が大地にはりめぐらせた「経絡」沿って、走る。

そうすると、エンジンも電動アシストもなしに、
人はほとんど力を労することなく、
抵抗をうけることもなく、そして事故もなく、
風のように移動することができる。

   *

「自分さがしの瞑想」からはじまって、
ミンデルの本は過去に何冊か読んだが、
正直ピンとこなかった。

ようやくなんとかわかる(?)ようになったのは
「身体症状に「宇宙の声」を聴く」 からで、
今回久しぶりに読んだミンデルの「大地の心理学」は、
残念ながら、腑に落ちるところまではいっていないが……
よく理解できた、というものでもなく、
なんというか……
このままいけば「腑に落ちる」はずの方に
身体を向けることができた、といった感じなのである。

ええい、どうも、コトバにするとまだるこしい。

ひとつにはミンデルが提唱しているメソッドが、
経験なしには語りえないということ、
そしてもうひとつは、
その経験は、きわめて微細な身体感覚をベースにしている、
というところがひっかかっているのだろう。

「大地の心理学」は端的にいってしまえば、
「ベクトル歩行」の本である。

一定の方向と量を持ったベクトルをいくつか重ね合わせると、
それらのベクトルを合成した大きなベクトルが浮かび上がる。

この「ベクトル」を実際に歩くことによって、
自己の統合をはかっていく。

具体的には、課題に関するいくつかの構成要素をリストアップし、
それぞれの要素を「ベクトル」として、慎重に方向を定め、歩む。

部屋の中でも外でもよい。
動けなければ動きたくなければ、かすかな動作をもとに、
紙と鉛筆でやってもいい。

どっちに?何歩?

すべて身体に問う。

最後にすべての構成要素を重ねあわせた「ベクトル」を歩く。

これこそ、もっとも抵抗の少ない道であり、
「自然は単純を好む」ところの最小作用の道であり、
その道を歩むことはタオの自覚そのものである。

統合がすすめばすすむほど自己の境界は広がる……
というより、拡散し、
最終的には道(タオ)に至る……
というより、帰還する。

実際にやってみると(ぼくの場合)釈然とはしないけれど、
「なにかある」感は、たしかにある。

「大地の心理学」によれば,
こういった微細な感覚に注意を払う能力は、
現代人においてはほとんど眠ってしまっているそうだ。

   *

邵雍(康節)は、いまからおおよそ1000年前、
宋代における梅花心易のマスターだが、
微細な感覚に注意を払う能力(クォンタム・コンパス)に
たけていたのだろうと思う。

それを周囲の人に説明するための方便として、
易をつかっていたのではなかろうか。
そんな気がする。

「大地の心理学」の中には、易も登場する。

ベクトルというツールはさまざまに応用がきく。

たとえば、下の絵は、ODで示される基本の卦から展開される、
I、N、Gという卦を示した「テンプレート」である。
ぼくは占い師じゃない-tmp
【魂のテンプレート】

「テンプレート」は「易システムハンドブック」で考案したもので、
ひとことでいえば個人の資質を示すパターンである。

ODから展開されるわけだから、
I、N、GはいわばODの派生卦であり、
イメージとしては次のようになろうか。

ぼくは占い師じゃない-odhasei
【ODからI、N、Gが派生する】

しかし、ベクトルの重ね合わせというアプローチを考慮するなら、
「派生」ではなくて、実は、ODは、I、N、Gという
「構成要素」から成り立っている、
と観ることができるのではないか。
ぼくは占い師じゃない-voding
【OD=I+N+G】

個人の資質、というのはひとつの「みたて」である。

ODをなんらかの手段で得られた大成卦一般とすれば、
I、N、Gはその大成卦で示されるもの・ことの背景と
観ることができる。

OD、I、N、Gすべてを重ねあわせると、
そこには心ある/大いなる道、Uがあらわれる。
ぼくは占い師じゃない-vu
【あるときのテンプレートとそこから導かれるU】

U、最小作用の「心ある道」、タオの自覚は、
砂絵のように毎回更新される。

更新されるたびに自覚は深まっていくというが、
なんといっても、実際に「卦」そのものを「歩く」ことができる、
というのは、おそろしく新鮮なおどろきである。

まあ、「おどる易者」というのがいても、
おかしくない気はする。

   *

冒頭に紹介した昔書いた「お話」は、
かろうじて「小説」の体をなしていたという程度の、
稚拙なモノだったので、だれも読んでくれなかったが……
思えばそこで描こうとしていたのが、
「最小作用の道」だったのかもしれない。

そして菊坂は、合意的現実の、
「心ある道」である。