「76:蒙」卦の卦辞である。

易に少しでもふれたことがある人なら、おそらくは誰でも知っている。
超有名な言葉なので、これをしらないという易者がいたら、そのヒトはたぶんモグリだろう。
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話はかわるが、ぼくはときどき少々強迫神経症じみた行動に悩まされることがある。
とくに朝、出がけの「カギかけたかな」の確認衝動はがまんできないことがあって、四、五回、玄関の前をいったりきたりするのはわりとふつうで、ひどいときは歩き始めて10分もたってから、家にひきかえしたりする。
こんなことをやっていると当然遅刻してしまうので、なるべく早くに家はでるようにしている。
四、五回のいったりきたり……は、
まあオーバーだとしても、一度気になり出すとどうにもこうにもそのことしか考えられなくなるのはまちがいない。
以前から使っている易占いのIアプリ
があるが、これを使うとケータイで卦がたてられる。
そんなわけで、家に引き返すのもままならない状況だと、ついつい易にたよってしまう。
占的は前にこのブログでご紹介した例
とまったく同様、
「カギかけたかな?」
である。
こんなくだらないことで質問すること自体、システムに対してシツレイとも思えるが、どうやら易システムには人知を越えた寛容性があるようだ。
で、得られたのは「22:兌為沢」。

経文をいつも持ち歩いているわけではない。使っているアプリでは、(たぶん)無作為に選ばれた大成卦の名前と形が表示されるだけで、経文は表示されない。
この程度の占的なら、卦爻辞を参照せずともカタチで判断できるだろうと思ったのだが……
得られたのが「兌為択」ではどうもよくわからない。
悦ぶ……というのもしっくりこないし、前例
にならって、大成卦全体を玄関のドアと見立てると、穴が二つあいているのはわかるが(三、上の陰爻)、これは覗き穴とカギ穴で、カギがかかっているかどうかはわからない。むしろ開いているようにもみえてしまうのだが……
その真ん中の陽爻を門扉のカンヌキ(閂)としてみたてることのできる「坎」を含んだ卦でも出ないかなと、

勝手に期待していたこともあり、自分が卦を読めないことを棚にあげ、ついつい腹立ちまぎれに、
「もうちょっとわかりやすい卦で教えてくれないか!」
とやってしまった。
で、得られたのは「21:沢天夬」。

説明の必要はほとんどないだろう。
玄関のドアとみたてた兌為沢の三爻、下の穴=カギ穴がふさがっているのである。
つまり、カンヌキ、ラッチ、まあ、なんと呼んでもいいが、ようするにロック機構=カギはかかっているよ、とシステムは明確に示してくれたのだ。
このあたりから邪道に入る。
簡単な操作で卦がたてられる便利さも手伝って、さらに意地悪く、
「もっとわかりやく!」
などと、たてつづけに卦を立てた。
それでもシステムは根気強く、最後の陰爻、択天夬の上爻を陰から陽に変じ、ふさぐことによって、兌為択→択天夬で示したのとおなじカタチの回答をよこした。
そう、得られたのは、「11:乾為天」だったのである。

「だからぁ!こうなんだよ」
と、システムはダメおしをしてきたのだ!
これだけでも充分びっくりだ。
あまりにもびっくりしてしまって、このアプリには、なにか、似たようなパターンの卦がたてつづけにでるようなクセでもあるのかなあ……などと思ってしまったのがよくなかった。
確認のつもりでもういっぺん卦を立ててしまったのである。
兌為沢から数えて、同じ占的で、
実に、4回目の立卦。
お察しのことと思うが、この4回目に出たのが、冒頭でご紹介した「76:蒙」卦である。
できすぎ……??
と思われるかもしれないが、易システムを使っていると、こういうことはままあるのである。
冒頭でご紹介した「76:蒙」卦の卦辞の部分は以下のように続く。
『初筮に告ぐ。
再三すれば汚る。
汚るれば、告げず。
貞に利ろし。』
いいかえるとこういうことだ。
『答えは最初にいったとおり。
同じ占的でなんども立卦するのはシステムへの冒涜だ。
冒涜されてまで答える気はない。
ちゃんとしろ。』
おこられているのだ。
師はこんなところにもいた。
師匠の価値を問うてはならないのである。
PS.
もちろんカギはちゃんとしまっていた。
かみさんいわく、
「そういうふうに気になるときはたいていちゃんとカギはかけてるの。アブナイのはそんなこと、気にもしないときだわ」
まあ、そうかもしれない。
ついでにいうとこの卦立てたのは4月の6日で、
13月の暦では、その週のコドン(卦)は、
「兌為沢」。
冗談みたい。