ほりだしものをほりだしたはなし | ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。


稲垣足穂
1900-1977

研究するというほど深くもなく、
ちょっと読んだことがある、
というほど浅くもなく、
ただの一ファンとして、
稲垣足穂を読んでいたのも、
ずいぶんと昔のことになってしまった。

全集を買うほどのめりこんで
いたわけではなかったが、
河出の文庫版がひととおりと、
他の出版社の本もいくつか、
そろっていた。

今では本も全部売り払ってしまって、
タルホという固有名詞すらも、
すっかり忘れてしまっていたある夜、
先輩に連れられて入り込んだ
裏路地の中華屋はどこのどこだったか、
今となってはとんと見当がつかない。
ただ、2000円で腹一杯になったこと、
紹興酒でホロ酔いだったこと、
路地裏に開け放たれた厨房で美人姉妹が
せわしなく動きまわっていたことは、
よく覚えている。

この世は、ある角度から観ると
薄いガラスのスライスのようで、
その微分的断片の中には、
大事なものが詰まっている。

その薄ガラス一枚へだてた
夜の通りの明かりの隙間に
今までいったことのない古本屋が
ポツンとあった。

モヤがかかったようなまなこで
古びた書棚をたぐっていくと、
手前奥の岩窟に手つかずの宝石が
なにかの冗談みたいに埋め込まれていた。

タルホ。

ヒコーキは青天高く陽光にまぎれ、
ラジエータのカタチは工学の美を唱い、
表通りでは路面電車が緑色のスパークを
あげながら通りすぎ、
天から迷い込んだ星は帰り道をさがして
夜明けの公園を右往左往する。

タルホのお話には
「星」がよくでてくるが、
タルホの「星」たちは
いったいにあまりお行儀がよくない。

場末の酒場でクダをまいていたかと思えば、
黒板塀でかこまれた裏路地で、
ゴールデンバットのコウモリを
どついていたりする。

星がたくさんあるように
現実もたぶんたくさんあって、
日々暮らすということは、
そのなかから、
あるひとつの「星」を選ぶ、
ということなのだ、

だからきっと、
手でさわれるとか、
人がいったとかは関係なくて、
すべては選ぶという
ココロのなせるわざで……

そのココロがざらつくのは、
選んだ星に優劣をつけたり、
他人が歩む星と、
比較したりするときで……

どれをとっても他の板と同じ、
薄板スライスの一枚に過ぎない。

バームクーヘンの皮、
ミルフィーユの一枚。
HAL9000のセントラルに
ずらりと並ぶ光る薄板の一枚。

ぼくは占い師じゃない-taruho


「足穂拾遺物語」
青土社
2008/3初版

【「拾遺」は遺されたものをひろい
 あつめること。高橋信行氏による
「解題」は圧巻。スピンも解題用、
 本文用と、二つついている。
 装丁も美しい。        】