「なりたい自分を探す夢の見かた入門
―夢は答えを知っている」
ゲイル デラニー (著)
勝俣 孝美 (翻訳)
PHP研究所 (2004/02)
「夢と現実
―ユングとともに自己と出会う」
土沼 雅子
二期出版 (1994/03)
「夢見る力
-カバラと内なるヴィジョンを生きる」
キャサリン・シェインバーグ(著)
斉藤昌子(訳)
ナチュラルスピリット(2008/5)
夢の本を三冊。
夢。
夜みる夢のことである。
古い本も新しい本もあるが、
それぞれに特長があっておもしろい。
「夢の見かた入門」と「夢と現実」は、
ともにユングの夢に対する考え方に
その基盤をおいていることではおなじだが、
その夢に対するアプローチでは
まったくことなる。
どちらかというと
「夢の見かた入門」の方は、
夢を「利用」することに
その主眼があるように思う。
夢をひとつの映像作品のようにみたてて、
そのプロデューサーや出演者など
(結局は自分)にインタビューする事で
夢と現実を結びつけ、
夢と実生活をつなぐ。
そしてまた、
特定の質問をすることによって
夢から答えを得る。
夢を検索サイトのように利用するわけで、
やってみるとわかると思うが、
条件さえととのえば、
ちゃんと「回答=検索結果」が
かえってくるのである。
「夢と現実」の方は、
いつもいく古本屋で見つけた
ちょっと古い本だが、
夢にたいするさまざまな取り組み方が
広く浅く紹介されている感じ。
その中には「夢の見かた入門」にある、
演劇形式の解釈もある。
自分の内で起こっているプロセスを
信頼するという意味で、
著者の考えはミンデルのPOPに
近いものがあるのかもしれない。
自らをその「プロセス」
=タオのはたらきにゆだねるのである
(最後の方にPOPに関する説明もある)。
以前にイメージワークのワークショップに
かよっていたことがある。
サイコシンセシスという心理療法に
ベースをおいたワークだった。
イメージをたぐること自体は
問題なくできたが、
最後にたどりついたイメージを
どうあつかったらいいか
さっぱりわからなかった。
もちろん質問したが、
先生の答えはそのイメージを
「抱(いだ)いて生きる」
ということだった。
ますますわからなくなったわけだが、
「夢と現実」を読んで、
ようやく(今頃!)その意味がわかった
……というより「つかんだ」感じ。
そのイメージを抱き、おりにふれ味わい、
実生活をそのイメージとともに生きる。
わからなかったのは、
「夢の見かた入門」のように
そのイメージ、すなわち夢を、
どのように「利用するか」という観点のみから、
どちらかというと工学的に考えていたからである。
かならずしも完璧に解釈し尽くさなくても
それはそれでよい。
解釈し、定義し尽くし、分析され尽くした夢は、
ピンでとめられて標本箱にいれられた
チョウのようなもので、
飛んでいるチョウそのものではない、
と言うのは、
三番目の「夢見る力」という本である。
ターゲットは、元型辞典や夢辞書にあるような
シンボルではなく、
そのシンボルがシンボライズする本体……
ダイナミクスそのものである
と、「夢見る力」はいう。
このダイナミクスを解釈するのではなく
シンプルにとらえること……を、
「夢見る力」では「見る」といっている。
そしてこれが一番大事なことなのだが、
「夢は夜見るものだけではない」ということ。
じつは私たちは四六時中夢をみている。
夜は夢を夢として認識しやすい
というだけの話であるということだ。
この認識には文化的社会的条件付けも大いに影響する。
「夜、夢を見ます」
といってもヘンに思われることはないが、
「昼も夢をみています」
といえば、子供ならともかく、
大人なら十中八九ヘンに思われるだろう。
とどのつまり、私たちは夢をつうじてしか
ものごとを認識することができない。
それをいつしか、夢 VS 現実(実生活)
というふうに分離させてしまったところに
諸問題の元因がある。
この間に橋をかけ、
もともとひとつだったものを再統合しよう
というのがこの本の趣旨だと思う。
「夢見る力」は三冊のなかではもっとも実践的な……
実践を要求される本である。
というより、ただ読むだけで、やってみなければ
この本の価値は半減以下になってしまうだろう。
カバラはたえまない実践の体系だが、
実践こそが、生命の木もセフィロトも、
こむずかしいカバラの哲理も
いっさいでてこないこの本の、
もっともカバラ的なところである。
そういうわけで、
ぼくの実践はまだ半分くらいまでしかいっていない。
残りの半分はまだ読んでいないわけで、
フライング書評であることを
一応ここでおことわりしておこう。
三冊ともに共通していることがふたつある。
ひとつは、
「夢の見かた入門」では「美的体験」といわれ、
「夢見る力」では、冒険談で見つかる宝物、
英雄の勝利にたとえられているが、
腑に落ちる感覚、
なるほど、わかった!という感覚、
最近のコトバでいえば「アハ体験」が、
ひとつの鍵になっているということだ。
もうひとつは、
あなたの夢はあなたが創り出すものである
ということだ。
このブログでも何度か書いてきたが、
夢の扱いを他人にゆだねてはいけない。
他人のいうことを参考にすることはできても、
カウンセラーを含む他人はあなたではない。
あなたの夢をあなたのように解釈できるのは
あなたしかいないし、他人はあなたの代わりに
あなたの人生を生きてくれるわけでもない。
そして、いつも思うのは、易卦の解釈はどこか
夢を扱うことに似ている気がする、ということ。
的確な占断には腑に落ちる、
「アハ体験」が欠かせない。
先生は易卦の扱い方を教えてくれるかもしれないが、
実際に現場で易卦に相対するのはあなただ。
願わくば今宵も
よき夢に恵まれんことを。
おやすみなさい。