「死をデザインする」
ティモシー・リアリー
R・U・シリアス
挧木玲子 訳
河出書房新社
リアリーの本はひさしぶりに読んだが、やっぱりおもしろい。
リアリーは、この本を最後にもう亡くなった。
ドラッグ文化の帝王みたいにいわれることがあるけど、
好き嫌いはべつにして、
いわゆる「精神世界」より以前の……
ヒッピー文化やニューエイジ・ムーブメントに多大な影響を与えた。
ぼく自身はもともとSFをよく読んでいた。
いまからそう……2X年ほど前になるが、
サイバーパンクにハマっていたことがあって、
リアリーの名前くらいは知っていた。
キブスンなんかもよく読んだ。
「サイパンなんか読みやがって」
と、マトモなハードSFファンには白眼視されていたけれど、
かまわず読んだ。
だって、自分が住んでるところ(チバシティ)がでてくるSF小説なんて
そうそうなかったもんなあ。
でしょ?
リアリーの「死」がテーマの本。
アマゾンの書評にもあったけど、元気。
元気な「死」がテーマの本だ。
暗いところはひとつもない。
この本からの「死」の定義のひとつ。
入出力があるところでその人は生きている、
とするなら、
ぼくはチバシティでは生きているが、センダイシティでは生きていない。
つまり、「死んで」いる。
2X年前まえといえば、社会に出たばっかりで……
LISP!Smalltalk!人工知能!ニューロネット!VR!
とまあ、こんなものがブームだった。研究部門だって元気だった。
結局、めだって残ったのは、
マウスとビットマップディスプレイ、デスクトップとイベントドリヴン。
今じゃあ、アタリマエダのクラッカー。
思い出話はともかく、
もし、その人の人格をシミュレートする、自然言語で受け答えができる
死後アーカイブがあれば、
前述の定義に照らして
その人はそこで生きているということになる。
「人工知能」だね。
ルディ・ラッカーは「ライフボックス」とか言ってたけど、
たとえば、
おじいちゃんが亡くなった後に生まれたカワイイお孫さんが、
このライフボックスに
「おじいちゃん、野球やったことある?」
なーんてきくと、「おじいちゃん」が
『そりゃおめえ、この国で野球やらないのは、
ポリ公と金物屋のくそジャックくらいなもんだぁ、
ふぇっ、ふぇっ、ふえっ』
と、こたえてくれるというわけ。
警官と、居酒屋でいつもいがみあっていたジャックは、
じいさんの「二大・嫌いなもの」。
質問にダイレクトに答えないことと、
たいしておもしろくないジョークをいうのは
じいさんのクセ。
システムはデータプールを参照して、ビミョーなクセもシミュレートする。
それでふと、
カミとペンなんていうローテクでも、
ひょっとして同じ(ような)ことができるんじゃないか、と思った。
まあ、かみさんより先にぼくが死ぬと仮定して、
かみさんにありとあらゆる質問を書いてもらって、
ピンシャンしているうちに、ぼくがそれにすべて答えたノートをつくる。
忘れた頃にききたいことがでてきたら、そのノートをみてもらう。
ライフボックスのようにスマートにはいかない。
ノートにのっていない質問だってある。
そこはローテクだからしょうがない。
イマジネーションでおぎなってもらう。
まってくれ、それって遺言書?
ちょっとちがう。
遺言書は、ザイサンはどーするとかソーシキはこうしてくれとかいった、
どちらかといったら無味乾燥な特定の質問に答えるものだ。
もちろんそんな質問もいれてよい。
遺言書はこの……なんて呼ぼう、
「ライフ・ノート」の一部、サブセットということ。
トラブルのもとになった話はよくきくが、
のこされたものが遺言書で癒されたという話はあまりきかない。
ここがライフ・ノートとちがうところかなあ。
もっとも質問/答えの内容によっちゃあ、トラブルのもとにもなる。
答えがあっているあっていないは関係ないが、
ふざけて答えてはいけない。
全力でそれらの質問に答える必要がある。
質問もあとでつかえる(くりかえしききたくなる)ようなコアな質問がいい。
そりゃ、
「なんで歯磨く前にトイレにいくんですか」
なんて質問があってもかまわないけど、
こんな質問はあってもなくてもいいだろう。
で、ぼくの死後、かみさんは、
『やつならなんていうかな』
と、きいたいことがでてくると、ノートを開く。
これが入力。
ぼくはノートの記述で答える。
これが出力。
ぼくはそこで生きている。
できれば死ぬずいぶん手前から書いておいて、
答えもつねに更新しておく。
もののみかた(答え)は、時とともに変わっていくものだから。
常に最新版であることがのぞましい。
こうなるとやっぱりハイテクが必要かなあ。
せめてプレーンテキストくらいはハンドリングできないと。
ASP(*)の力をかりてなんとか……
blogの機能でできるかも。
いってみれば、
特定の人ひとりにしかみせないblogだもんね。
でも管理者は、みるとはなしにみるだろうなあ。
やっぱ、はずかしい。
実際のところは、どっちが先に逝くかなんてわからないから、
夫の質問/妻の答えバージョンのライフ・ノートも必要だろう。
ところでこれ、なんかににている。
質問と答え。
Web検索?キーワードと結果。
まあ、それも確かにそうだけど、
易システムもそう。
質問と(立卦して)、答え。
かみさんには易の勉強でもしてもらったほうが早いし、応用がきくかな。
かみさんにはまだこんなこと、はなしていないが、
たぶんめんどくさがって(ていうか、キモチ悪がって)、
つきあってくれないだろうなあ。
リアリーさんは、本もHPも残っているようだからよかったね。
彼はそこで依然生きている、ということになる。
***
すいません、たった一冊の本の紹介で
またずいぶん脱線しちゃいました。
ではまた。
(*)ASP:アプリケーション・サービス・プロバイダ