じぶんでじぶんのかたちをさがそう | ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

インフォーム(Inform)というと、名詞形がインフォメーションで、「知らせる、通知する」という意味になります。

実はこれ、原義はin-formで、「~に形作る」ということです。
もう少しくだけていえば「形にはめる」といってもいいかと思います。

ぼくは占い師じゃない-hananira

この時期になると、歩道の片隅などで花ニラが白い可憐な花をつけているのをみかけますが、園芸好きな人だと、『これは花ニラで、ふつうにぼくらが食べるニラはこの二ラの変種で……』などという形にはめるのでしょうが、幾何学に興味のある人だと正三角形がふたつ重なった形か、あるいはいわゆる六芒星か、正六角形か、そんな形にはめるのでしょう。

こんなことを書くのは、実際に園芸に詳しい人とこのあいだの(といってももうずいぶんたちました)花見のときにそんな話を聞かされたから。
幾何学のほうは、読んだ本(*1)に以下のような一節があったからです。

『古典幾何学という異国の大使かつ通訳としてのコクセターの足跡を追ううちに、読者は、いつしかコクセターの視点という新しい強力なレンズを通して世界を見ていることに気づくだろう。そこから見えるのは、万物が幾何学の形と影を帯びるハイパーテキストのような世界だ』

一般に「形にはめる」「形にはまる」というと、ひとつのパターンに固執したり、そのせいで視野が狭くなるなど、あまりよくないことというイメージがあります。
ですが何事も「形にはめ」ないとわからないのが人間というもののようで、まったくつかみどころのない、のべたんのノッペラボウでは、それがなんなのか認識すらできません。

認識できないということは、なんだかわからないそのことを「伝える」こともできないので「形にはめて」=パッケージングして伝えて、初めて『ああ、なるほどな』ということになる。

そんなわけで、伝える=イン・フォーム(形作る)という意味になるのでしょう。

もっとも、相手がその形にまったくなじみがなければ、いくら丁寧に形作っても内容を相手にインフォーム(伝える)することはできません。

技芸の世界では「形から入る」ということがよくありますが、この場合は、まずきちんと形にはまっていないと、技術として完成させることはできない。こうなると形にはまるということは悪いことどころか、技術をのばす前提であり、とりあえずは形にはまってくれていないと困るということになります。

そこらへんのことは易システムではどうなるのでしょうか。

まずは下の図をただたんにみていただきたいと思いますが……

ぼくは占い師じゃない-shou

上から、切れた線3本とつながった線2本、一番下が切れた線一本。
ただそれだけのものです。

では、これではどうでしょう。

ぼくは占い師じゃない-shou2

「升」という字が書かれています。これはこの記号全体につけられた名前です。
「升」は、物を量るためのマスをあらわす字ですが、ここでは「上昇」の意味です。

今度はこの記号の成り立ちを考えてみます。最初の切れた線が基礎になって、積み上げ式でこの記号全体が成り立っていると観ます。

(1) 最初の切れた線
(2) 線2本でできた単位
(3)(4) 線3本でできた単位

それぞれに「たとえば」以下の図に示すようなキーワードが対応していたとします。

ぼくは占い師じゃない-shou3

なにか意味ありげになってきましたね。

それでは、この「升」という記号全体が、あるひとりの人を表すとしたらどうでしょう。

ぼくは占い師じゃない-shou4

下から上への積み上げ式で記号を観るということでしたから、(4)が、この人における、一番目に付く部分です。それから下、(3)、(2)、(1)へと、構成単位はどんどん見えにくくなり、閾下、本質的になっていきます。

こうしてみるとその人の人格というか人柄というか性格というか、そんなものがこの記号から読み取れそうな気がしてきますよね。

6本の切れた線またはつながった線の集まりでできた記号を、

上で書いたような「単位」として観る、
各単位に特定の意味をわりふる、
全体をある「人」として観る、

こういったことはすべて「形にはめて」いる、ということです。「形にはめる」ことによって、わけのわからなかったものは具体性を帯びてきます。

この「形にはめる」という作業こそが、易システムにおける「占う」という行為の本質です。

一般に易がとっつきにくいのは、この記号の抽象度の高さもさることながら、「形にはめる」ということのバリエーションがそれこそ無数にあるからです。

とっつきにくく、自分で勉強するのも大変そうですから、専門家に観てもらうということになる。

ではもし、この例になっているある人が「あなた」だったらどうでしょう。

ぼくは占い師じゃない-shou5

くりかえしますが、易システムでは「形にはめる」やりかたは無数にあります。

これをいっちゃあおしまいですが、裏をかえせばどうとでも読めるということでもあります(もちろんそこに一定のルールはありますが)。

ここにあるのは、だれか知らない第三者ではありません。

ほかならぬ「あなた」です。

形にはめ、そこから意味を読み取る作業をリーディングといいます。

さて、そのような状況下で、リーディングをひとまかせにできるでしょうか。

もちろん専門家は必要です。

他人に観てもらうことではじめて気づくことも多々あります。
誠実な専門家が与えてくれる情報は非常に有用なものです。

しかしそれでも、その彼女または彼が与えてくれた情報を咀嚼するのはあなたです。

専門家はあなたではありません。

あなたの代わりにあなたの人生を歩いてくれるわけでもありません。
あなたのように感じ、考え、リーディングできるのはあなたしかいません。

自分本来の力/能力を自分に取り戻すことをセルフ・エンパワーメントというそうですが、最終的に読むべき本は、丸善でも紀伊国屋でもなく自分の中にあるように思いますが、あなたはどうお感じになるでしょうか。


(*1)「多面体と宇宙の謎にせまった幾何学者」
ジュボーン・ロバーツ著
糸川 洋訳
日経BP