以下の写真のようなもの。
錫、水銀、鉄、銅、鉛、の合金でできた鋳物である。
本来はこれに、太陽の金と、月の銀が混じるらしいが、
コストのこともあってぼくのうちにあるものには入っていない。
チベットのお坊さんが宗教儀式の際に用いる法具のひとつ、
ということなのだが、最近はヒーリング目的で使われることも多いらしい。
こういうものがあるのは知っていたけれど、
アジア雑貨の店や書店の片隅で見かけていたので、
なかなかそこで手に取って鳴らしてみる、
というわけにはいかなかった。
また、そういうところでは、
そんなにたくさん置いてあるわけでもないので、
選択の余地もない。
ネットなら、幅広い選択の余地はでてくるが、
画面のむこうはさわれない。
まあ、しかし、実際に手に取って鳴らしてみないかぎり、
自分にあっているかどうか、ほんとうにぴったりくるものを
選ぶことができないのもまた事実。
そんなことで、気にはなっていたけれど
ずっと放っておいたシングングボウルだったが、
このあいだたまたまネットで、
ノルブリンカ というチベット・アートを扱うギャラリーをみつけた。
そこでは、たくさん置いてあるシンギングボウルを、
実際に手に取って、鳴らして、選ぶことができる。
ぼけ~っと検索していたのが、2月21日の夜で、
たまたま(ほんとうに「たまたま」?すごいなあ、連続GAPの日)、
22日まで「シンギングボウル展」というのをやっているというので、
あわててメールして出かけてきた。
スタッフの秋山さんという方が非常に親切に対応してくれて、
たまたまそこにいたお客さんたちを集めて、
シンギングボウルのミニ・ワークショップまでやっていただいた。
(後日、指圧にまで来ていただいて、どうもありがとうございました)
ボウルはひとつひとつ手作りなので音も当然ちがう。
たたいて鳴らすのは簡単だが、
スティックでフチをこすって共鳴させるやり方だと、
同じ人がやっても鳴ったり鳴らなかったりする。
月並みな表現だが、「生きているよう」なのだ。
毎日の瞑想のとき鳴らしてみたりするのだが、
時間をかけて選んだだけあって
(小さなギャラリーなんですが2時間以上遊んでました)、
やっぱりいいなあ。
もちろん「音」を聴くのだが、
山水画の余白や、
瞑想時に、流れる想念の背景を観るように、
これもやはり、音そのものというより、
その余韻とその後の静寂を聴くものだと思う。