手帳の変遷 | ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

去年の……
などというと、ずいぶん以前のような感じがするが、
先月の……
占いテーマのブログで「記録すること」
ってな記事を書いた。
で、思い出したのだが、
今はアタリマエのように持ち歩いている、
「手帳」。
これいったい、
いつごろから持ち歩いているんだろう、
と、ふと思った。

手帳

本棚の、手帳が入っているスペースを
ほじくりかえしてみたが、
一番古いので、
98年の日付があるマンダラート手帳だった。
これよりも前に超整理手帳と、
さらにそれよりも前に、
保険屋のおばさんにもらった
ええかげんな手帳をええかげんに
使っていたはずだから、
手帳というものを使いはじめてから、
多分10年くらいにはなるのだろう。
手帳なんかいらんわ~
という人も多いかと思うが、
ぼくも最初はそうだった。
会社では作業日誌をつけていたので、
特にそれ以外必要がなかったのだ。

最初は、さっきも書いたが保険屋のおばさんにもらった
えーかげん手帳で、書いてある内容もエエカゲンだった。
あ~、内容エエカゲンってのは今でも変わらんか。

そのあと、出たばかりの超整理手帳にのりかえた。
超整理手帳は、「超整理法」で有名な野口悠紀雄氏 考案の手帳。
ジャバラ式に折りたたんだ
A4用紙に対応しているところが斬新だった。
そんなわけで、ついていたリフィルはほとんど使わなかった。
勝手なA4用紙を勝手に突っ込んで
超整理法というよりチョイ整理法って感じで(意味不明)
使わせてもらっていたが……

そのあと、マンダラート手帳(写真一番左)にのりかえた。
マンダラート はデザイナーである今泉浩晃氏
が考案したアイディアツール。
現在は手帳というのはなくなり、
電子ツールだけになっているようだ。
マンダラートは非常に強力なツールだが、
すべてをマンダラに収めることに少々ムリを感じて、
これもほどなくpalmに乗り換えることになる。

palmはPDAブームの火付け役ともなった機種だが、
今となってはPDA市場は見る影もない。
PDAブームなんてほんとうにあったのかなあ、
と疑いたくなるようなほど、量販店からも
きれいさっぱりなくなっている。
写真の真ん中がそのpalmだが、
いまではもう立ち上がらない。
母艦になっていたノートブックも壊れてしまい、
ほこりをかぶっている。
会社に通ってたころは、
出退勤のときに目の前の専用マシンで

ぴろり~ん
(そういうヌケた音がする)

と、データの同期をとるのが習慣だったのにな。

この音をたてると、ずらっと横一列に
並んで座っていた後輩達が
いっせいに、じろっとにらんだものだった。
彼らの視線はこう語る。

テメも~帰んのかよ。

結局、一番長く使っていたのが、
フランクリンシステム による手帳で、
これは「7つの習慣 スティーブン・R. コヴィー著」
のコンセプトによってつくられたシステム手帳。
人生の目的ともいえる「ミッション」からブレークダウンして、
「価値観」→「役割」を定義していき、
最終的にそれらを日々のtodoまでに落とし込む。
この仕組みが、「単なるスケジュール帳というだけではない」
手帳の使い方に改めて気づかせてくれた。
会社員を辞めた今、
todoやスケジュール管理のためだけの手帳は、
はっきりいって必要ない。
大げさにいえば、いまや手帳はぼくにとっては、
スケジュール管理のためにあるのではなく
(もちろんその機能も含むが)、
自分の内面と向き合うためにある。

そして13の月の暦 の手帳。
いままで知っていたのとは
まったく違う時間の流れが
あることを気付かせてくれただけでなく、
不思議なことに
様々な新しい人間関係まで運んでくれた。

そしていまは「ほぼ日手帳 」を使い始めている(写真一番右)。
「なんでもない一日一日を大切にする」コンセプトで
糸井重里氏の会社がつくっている手帳。
基本的には一日1ページだが、
「ここには××を書く!」
「そしてここには△△を書く!」
「んでもってここはこー使う!」
のような、
設計者による一方的押し付け的制約が少なく、
カバー共々、ゆる~い仕上がりとなっている。

いままで使ってきた手帳のコンセプトも、
完全に捨て去ってしまったわけではなく、
このゆる~い手帳に合併吸収した。

ま、結局……

最近は手帳ブームらしいが、
どっかの本のタイトルみたいに、
多分手帳で成功することはないし、
多分手帳で夢がかなうこともなく、
多分手帳で人生が変わることもないだろう。
成功することも変わることも、
夢がかなうことも、
あくまでその原動力は、
その人自身のなかにあるんじゃないか。
いい手帳はその原動力を引き出す触媒になる。

なんだか今回はとんだ「手帳自慢」に
なってしまった。

失礼。