やっほーいちか!
みんなが在籍してるコミュニティって、理念的なテーマみたいなものある?
意外とどんなコミュニティにも方針や理念みたいなものってあると思うんだけど、それが浸透してるかしてないかで大きく違ってくるよね。
コミュニティを発足したスターティングメンバーだけに共有されていて、増員していくたびに薄まっていくなんてこともよくあるし、うまく伝えられなくて誤った解釈が広がっちゃてたりとかね。
ゲームのギルドやチームになると、規模が狭くて小さなものになるから、プロでもない限り、そんな大層な理念とは違って、なんとなくみたいな雰囲気のものだったり、そもそも、そんなものがないことはいくらでもあるとおもう。
それが悪いって言ってるんじゃないよ。
逆に遊びにそんな大袈裟なものを掲げられても、とか思う人の方が多いとおもうからさ笑
っていうのも、実は、”さ・い・お・そ”にも、そういう大きなテーマは存在しない。それっぽいものをわたしは理念として扱ってはいるけど、厳密にいうと理念ではなくて前提ルールだね。
『装備ステータスや、プレイヤースキルの優劣で、他プレイヤーを見下してはいけない』
ギルドメンバーになる資格条件として、この考え方が提示される。これを了承できる人のみ、ギルドへの参加が許されるってことだね!
でも、どういった意図でこの条件が制定されてるのか、なにを目的としてギルドが存在するのか、そういったいわゆる理念は闇の中。各自、解釈していくことになるんだよね。
なんでこんな前提条件があるのかを考えると、Master Karkの経験から、ゲームの民度、つまりプレイヤーの質を問うところからはじまったんじゃないかなぁっておもう。
ゲームデータ上からの差別や迫害を、するのもされるのも、目撃するのも極端なアレルギーをもっていて、せめて自分の周辺には、そういったプレイヤーを配置させないために、ギルドを発足した。わたしはこう解釈してる。
じゃぁ、そのためにギルドはどういった活動をするの? どういった人材を確保するの? どういう価値観を持って広めるの?
なにもないし、なにもしない。
これがこのギルドの本質であって、すべてだとおもう。
それが問題なわけでもないし、間違っているとも思わないよ。前提の条件さえ守ってもらえれば、楽しくやらなくても構わないし、手助けも必要ない。挨拶もいらないし、話し掛けて無視をしたって問題ない。もちろん、それら逆も然り。やりたいことをすればいい。
ソウルワーカーのギルドは、度合は違うものの、だいたい、こんな感じだった。少人数なら成り立つことも、人数が増えると次第に厳しくなってくる。各々の解釈でそれぞれの振る舞いが容認されるから、徐々に多数派と少数派の構図ができて、少数派は多数派に必ず負ける。そうして、極度な分断が起こる。分断には色々あって、心だったり、立場だったり、環境だったり。
『だって見下してないもん』
そだよ。正解なんだよね。
正しいんだけど、なにか少しだけちがう。
わたしはこんな違和感を、人が増え始めたころから、ずっと感じてた。
今回はここまで! また次回! ばいのん。