OC122.初の伝奇小説?(朝鮮初の小説クモシヌァ❶) | 韓国朝鮮 社会と歴史のトリビア+

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<ドラマ トッケビ>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮歴史のトリビア>
122. 初の小説「金鰲新話」
 
 
 
 
史劇ドラマ•映画から便乗したい素材が
見当たらず、久しぶりにネタ本頼みです。
 
今回から3回に分けて朝鮮で初めて書かれた小説「金鰲新話」クムオシンファ(=クモシヌァ)とそのお話しを紹介します。
 
<クモシヌァ>
 
「金鰲新話」とは、
以前朝鮮版忠臣蔵「生六臣 死六臣」を紹介しましたが、
世祖の王位簒奪を良しとせず隠遁生活を送った生六臣の1人、
キムシスプ金時習が書いた伝奇小説で、朝鮮初の小説です。
 
<金時習>
 
オムニバス形式の小説集ですが現在では5話のみ現存します。
 
↓↓生六臣死六臣はコチラ↓↓↓
 
これも以前紹介しました。↓↓↓
稗官小說패관소설ぺグァンソソル(稗說ペソル) などが有りました。
しかし、物語としての完成度はこの「金鰲新話」には及ばず、小説とは見做されません。
 
「金鰲新話」のクモ金鰲は慶尚北道慶州市にあるクモサン金鰲山を意味し、
金時習がこの山で7年間隠居して書いた新しい物語と言う意味です。
 
 
金時習は朝鮮時代の儒学者でしたが、
世捨て人として出家、山で修行したので、
仏教や道教的な要素が多く我が国の神話の影響が散見されます。
 
また、良く知られる様に中国の
『剪燈新話(せんとうしんわ)』を参考にしており、今風に言えばフォロワーと言えそうです。
 
同様のケースとして日本では浅井了意の仮名草子『伽婢子おとぎぼうこ』が有名ですが、ベトナムにも有るそうで、各国の近似性と違いを研究するのも面白そうです。
 
1話ずつリライトします。
 
1. 萬福寺樗蒲記만복사저포기 
 
 
  全羅道南原に住むチョンガー(独身男性)リャンセン梁生は、早くに親を亡くし、
萬福寺の隅の部屋골방で寂しく暮らして
居ました。
 
連れ合いも居ない事を嘆く中、
仏様とジョポ樗蒲저포遊び(ユッノリ=朝鮮の双六)をして勝ったリャンセンは見返りに妻を娶る事を望みました。
「仏様、花の様なご縁を結ぶ事が出来ましたので、ぞんざいに扱われずどうか願いをお聞き入れ下さいませ。」
 
<ユッノリ>
 
リャンセンが祈りを捧げると、何処からか15〜6歳頃の美しい乙女が現れました。
娘は仏前で嘆き、祈祷文を捧げ泣き崩れます。
 
驚くリャンセンはおもむろに祈祷文を手に読み始めました。
そこには彼女のいきさつが記されて居ましたが、それによると、娘は倭寇の乱のさ中、親とも侍女ともはぐれてしまい逃げる事も出来ず、仕方なく台所の奥底に隠れて貞節を守り、災いを逃れる事が出来たとの事。
 
 
不憫に思った両親が仮の草野に埋葬し3年が経ちましたが、娘は独り身の寂しさ、侘しさに耐えきれず仏様に、せめて連れ合いを授けて下さいと祈ったとの事。
 
こうして2人は出逢う事になったのです。
二人は熱烈な愛を交わし、夫婦の契りを結びました。
 
夢の様な契りの宴(うたげ)が終わると娘は言いました。
「この上無い幸せを頂いたので、貴方と一緒に家に帰ろうと思います。」
 
2人は一緒に手を繋ぎ歩きました。
しかし不思議かな、道すがら出会う人達に彼女の姿は見えません。
こんな時間に1人で何をしに行くのかと尋ねるばかり。
 
 
娘の家に着き、2日間楽しく過ごした後、娘が銀杯を差し出し言いました。
「明日お寺に両親が来ますのでお待ち頂きお会い下さい。」
 
彼らは再び会うことを約束して別れました。
リャンセンが約束した場所で待って居ると、娘の3回忌を挙げに行くリャンバンの一行に偶然出くわしました。
 
娘の墓に一緒に埋葬した筈の銀杯を持つリャンセンに、一行は墓盗賊かと訝(いぶか)しみますが、経緯(いきさつ)を聞き納得し、これからその娘の3回忌に向かう所だと言います。
 
驚くリャンセンと両親ですが、これも何かの縁やもしれぬと言う両親が去った後、待ち合わせ時間に娘は顔を見せ、
2人は仲良く一緒にお寺に向かいます。
 
 
寺に着いた2人ですが、
リャンセン以外に誰1人娘の姿は見えません。
只々、娘の食事の音のみ響くだけでした。
 
娘はリャンセンに非礼を詫びると「貴方と100年を共にしとうございますが、運命を逃れられず永遠の別れをお告げせざるを得ません。」と嗚咽しました。
 
彼女の霊魂を見送るリャンセン、父母共に
深い嘆きで慟哭しました。
 
 
両親は彼女の家産をリャンセンに預け、「娘を決して忘れないで欲しい」と哀願します。
 
リャンセンは哀しみを堪え切れず、家産を全て売り払い、夜ごと祭祀を催し祈りましたが、ある日娘が現れ言いました。
「貴方様が日々お祈りして下さったおかげで他国の男性に生まれ変わる事が出来ました。
願わくば貴方様も俗世に戻られ天寿を全う下さいませ。」
 
リャンセンはその言葉を聞き、その後妻を娶らず智異山に入山し、薬草を掘り暮らしたとの
事です。
しかし、その後彼の消息を知る者は誰も居なかったと言います。
    
           -終わり-
 
 
この小説は、中国では無く朝鮮を舞台に描いた点で自主性を見せてくれます。
そして生きた男性と死んだ女性の愛を通じて強烈な生への意志を表現していると言えます。
 
生ける者と死者との愛は生ける男女間の愛よりも強烈な意志を伴います。
そして、その意志を曲げるべく2人にのしかかる世俗の不条理を告発して居ます。
 
作品の結末は悲劇的なものと解釈するのが普通です。
しかし、道教的なハッピーエンドで結んでおり、幸せとはなんぞやと言う問い掛けをも読者に投げ掛けて居ると言えるでしょう。
 
次回は2話目を紹介します。↓↓↓
 
<参考文献>
한국민족문화대백과사전 萬福寺樗蒲記
네이버블로그  만복사저포기 전문과 해석
 
 
<ドラマ 猟奇的な彼女>