ダニエルのBEEGEEなブログ -3ページ目

ダニエルのBEEGEEなブログ

大好きなTHE BEE GEESのALBUMや情報について、思うままにつれづれと。愛蔵盤で振り返るBEE GEESの軌跡を紹介したい。

 

 まだ学生だったか。人で込み合うお茶の水駅の壁面ポスターに釘付けになった。行き交う人の波の中で1人立ち止まり、この大型サイズのポスターを暫く見つめていた。この図柄だったように思う。或いはカット違いだったかもしれないが、プールサイドで微笑む彼らが堂々と写り込んでいた。82年頃だと思う。国鉄がJRになったのが87年だから、まだJRが「国鉄」だった頃。「BEE GEES」が日本で最もメジャーだった時期だと思う。今考えると、不要になったあの大型ポスターを手に入れたかった!

 それでも、あの頃の夏の暑さは近年よりはましだった。ハンカチを手に都心を歩きながら、自宅にプールのあるBARRY GIBB邸を想像したものだ。我が青春の1ページでもある。そして今、彼らBEE GEESの新たなアルバムを購入し、新曲に耳を傾ける楽しみも潰え去ってからずい分と時が経ち、最近では新世代のアーティストの新曲を聴くことなど、殆ど無くなった。民放のTVを観ることも殆どなくなった。では、どんなミュージック・ライフを送っているかというと、いわゆる「聴き直し」を実践している。

 ここ最近のマイブームは「TIN TIN」。ハープシコード(チェンバロ)の

同じショットのデザイン違い。BEE GEESでも「MR.NATURAL」と「JIVE TALKIN'」のシングルジャケもそうだった。この時代、外タレの写真は数少なかったのだろう

 

 音が特徴的で、唯一のヒット曲「TOAST AND MAMALADE FOR TEA」は全米最高20位。先週のBEE GEESファンの集まりで恒例となっている難問クイズで、この曲が問題になった。「MAURICEがこの曲で弾いている楽器は?」との問い。選択肢にハープシコードはない。ならばピアノか? ピアノと記して間違えた。ベース・ギターが正解。悔しかったな。

 デビュー・シングルの「ONLY LADIES PLAY CROQUET」(邦題「レディのお遊び」)も同様の雰囲気を持った曲。米盤デビューアルバムをずっと聴いていたが、最近、オーストラリア盤を入手して(下写真左側)、音を確認している。オリジナルアルバムのリリースは1970年。若き日にBEE GEESが事実上、分裂していた時期にMAURICEがTINTINやBILLY LAWLIEとともに音楽活動を展開していた。参考までに過去のブログを。

 

 

 豪盤はジャケ裏がSTEVE KIPNERとSTEVE GROVES の写真が大きく取り上げられている。(同下左写真)しかしながら、このアルバム表ジャケを見て思い出したのが、BEATLESの「HELP」アルバムだった。人文字。恐らくだが「TIN TIN」との表現。インパクトはあまりない。オーストラリア盤のB面5曲目は「LOVES HER THAT WAY」という曲で英米盤の「COME ON OVER AGAIN」は入っていない。ずうっと以前にこのブログでも取り上げた「HAVE YOU HEARD THE WARD」に雰囲気の似たジャム・セッション風のロック・ナンバーで、BEE GEESの路線を追いかけるようなメロディアスでソフトな、このファースト・アルバムから受ける印象とは異なったものだ。このグループはこういったジャムセッション風ロックがよく似合う。「HAVE YOU HEARD ~」の魅力と同様の楽しさがある。

 そうはいうものの、このTINTINのデビューアルバム。聴き馴染むと良い曲ばかり。メロディアスだし、あの時代のBEE GEES路線、敢えて言うとソフト・ロックの王道。よい仕事ぶりだ。そう思う。彼らも頑張っていたんだなあ。しかしながら、再結成後のBEE GEESも、或いは他のソフト・ロックグループもやがて、時代の波にのまれていく。BEE GEESはその後、路線を変更し、才能を存分に発揮して時代の寵児となって世界を席捲したけれど、ソフト・ロック路線のいくつものグループが大成した話を私はあまり知らない。

 だが、だが、しかし、あの時、その場所に咲いた花を愛でずにはいられない感覚がどうしてもこのアルバムにはある。現代のミュージックシーンにはない「音」、ない「サウンド」。十分過ぎる癒し。私の中ではまさに「名盤発掘」の作業をしていることになる。

この秋も短かった。ほぼ1カ月前の秋空と百日紅。地元の「わんぱく公園」にて愛犬ロクとともにゴロリと1時間