こんにちは。
あきこです。
唐招提寺へ鑑真和上に会いに行く②~金堂と如宝さんと空海さん~
唐招提寺に鑑真和上に会いに行く③仏様の前で汚き心が噴出するあきこ・・
の続きです。
唐招提寺の金堂の前で
(建物も仏像も国宝だよ・・・)
汚き心
が噴出したあきこ。
身体も心もボロボロ。
その日はとってもとっても寒くて
咳が止まらないからしていたマスクも
涙と鼻水でぐしゃぐしゃ
歩きだした私は
「とにかく鑑真和上に会いたい!!」
って思いました。
わたしは小学生の頃から
鑑真和上のファンだった。
↑これはサイキックちゃんのです。
3年前にサンタさんがくれました。
わたしも同じのを持っていました。
今これを読むと、聖武天皇は遷都しすぎ・・
そりゃ民も疲弊するよな・・って思いました。
でも、当時は衛生状態があまりに悪いから
遷都したくもなるのかもしれません・・・
こんなにボロボロで、汚い心が噴き出しているけれど
こんな状態だけれど、
それでもわたしは鑑真和上に会いたい
周りを見渡して、
もうとにかく、鑑真和上に会える場所に行こう!!と決意。
こちらは経蔵
経蔵は、国宝です。
唐招提寺の中でも最も古い建造物で、
唐招提寺創建以前の新田部親王の館の時代に
米倉を改造したものと言われているそう。
唐招提寺の土地は、
天武天皇の息子であり
聖武天皇の政権で非常に活躍した
新田部親王の邸宅だった場所を
鑑真和上に下賜されたものなんです。
こちらは、手前が「宝蔵」で、奥が先ほど紹介した「経蔵」
宝蔵ももちろん国宝でして、
唐招提寺の創建にあわせて建立された
8世紀のものといわれています。
こちらは講堂
わたし、こちらにお参りに行かなかったような気がする・・
(もはや記憶がおぼろげ・・)
平城宮の東朝集殿を移築、改造した建物だそうです。
今、平城宮跡に行っても
建っている建物は最近建てたものばかりですからね。
あきこが奈良県民だった当時は
平城宮跡に建物は建っていなくて野原でした。
平城宮の建物が残っているなんて
すごく珍しいし、貴重です!
ちゃんと見ればよかった・・
もちろん、沢山の仏像がいらっしゃいますよ。
いつもは、ブログを書くことを見越して
プライベートで参拝するときは
かなりの枚数の写真を撮るんです。
建物を撮るときには
説明書きの看板も一緒に撮って
どの建物か分かるようにしてます。
でも、この時は、写真をほとんど撮ってないんです。
金堂も同じ写真を何回も使ってるのは
一枚しか撮ってないから・・
国宝じゃん、
天平の甍じゃん
何やってるの!写真撮らなきゃ!
って今なら思うんですけど、
その時は、そんな余裕が全然なかったんです・・
だから、写真も少なくて
本当に申し訳ない・・
次回行ったときには
バッチリ撮って
もっとしっかりご紹介したいと思っております!!!
さてさて、
鑑真和上に会える場所はどこなのか・・
地図を見て確認してみました。
これや!!
と思って、「御影堂」を目指すことに・・
ほら、高野山でも東寺でも、
御影堂に行くと、空海さんが
いらっしゃるじゃないですか・・
だから、ここなら会えるかな・・
って思いまして、
とにかく目指しました。
↑御影堂までの道
ちなみに、御影堂がなんなのか
よく分かっていなかったわたし。
改めて、先ほど御影堂について
調べてみたんですけど、
その寺の開基,開山の像を安置した建物。
奈良時代頃から開山の没後,敬慕の心をこめて建設されはじめたもの
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より
とのことです。
↑御影堂までの道
この土壁が奈良のお寺って感じで、
わたしはすごく好きです。
西大寺もこんな感じの土壁があって本当にいいんですよ~
だから、まあ、中らずと雖も遠からず・・
といいますか、狙いは良かったんだと思うんです。
でもね・・
改装中で見られませんでした。
現在、
御影堂平成大修理
なんです。
しかも・・
唐招提寺の御影堂には、
有名な、皆さまも見たことがあるはずの
鑑真和上坐像
がいらっしゃるんです。
公式サイトに写真あります
https://www.toshodaiji.jp/about_mieidoh.html
こちらは、
毎年6月5日~6月7日 9:00~16:00
の特別開扉の時期
だけお姿を拝することができます。
6月6日が鑑真和上の命日だからです。
ちなみに、御影堂の平成の大修理の間は
新宝蔵での開扉となるそうです。
長くなったので、続きます。
次回、鑑真和上に、あきこは会えるのか・・・?