◇日々雑感「フローベール著の『紋切型辞典』は、我が掌編小説の素となる」



 至って一般的な項目を、諧謔と寓話的ファルスとして短く綴る、『感情教育』や『ボヴァリー夫人』といったフランスを代表する名作を書いた文豪ギュスターヴ・フローベール氏の著作『紋切型辞典』は、筆者の無二の親友とも謂える愛読書であります。
 例えば、「召使い」の項を見ると「みんな盗人」と、まさに一刀両断で切り捨てるように定義する時、そこには、例え家主のものを盗まなくとも、その衣装や癖、そして性格までをも模倣することが、召使いに相応しいと定義するのです。
 これは様々な説話の起源ともなります。例えば、「常に『密閉された』」で定義される「閉じた」の項では、こんな物語を綴りあげたくなります。
 今まで30年間刑務所に拘束されていた男が、釈放されて最初に行く場所が、昔、別れた妻との子供と遊んだ公園のぶらんこであれば、未だ職も決まらぬこのシャバでぶらんこをこぐと謂う男が、宙吊りの構図に収まることで、彼の心象を表層に浮き彫りにするのです。
 そんな場面から始まる物語が、最期、彼が公園近くの奥さんの誤解で、我が子を誘拐するかに思えパトカーを呼び、彼は再び刑務所に戻る場面をその広い公園に措定する時、彼はポツリと「いくら公園でも、俺には独房と同じ『閉じた空間』であった』」と漏らすのです。
 そこには、釈放された元犯罪者が一般市民と齟齬をきたすことで、再び誘拐紛いの犯罪を演じると謂う、社会との接点を見いだせぬ悲劇が、どうしても想像されるのです。
 つまり、一般社会もフランスの哲学者ミシェル・フーコー氏描くところの「監獄社会」であると謂う、ポスト・モダンな相貌の発祥が、この『紋切型辞典』に実に簡潔に表出されているのです。
 今は昔、この辞典の項目からヒントを得て、掌編小説を何作か書いたのです。そこにはフローベールのシニカルな側面と残酷な諸行が、一般社会の通念を逸脱する視点からの考察を読者に齎す時、普通の辞典との決定的な差異を生み出す原点として認識できるのです。
 それは、笑いを醸すファルスとも、警句に満ちたアフォリズム溢れる教訓劇と謂うカテゴリーで構築する、物語の基点とも謂えるでしょう。
 この『紋切型辞典』は、いっとき筆者の携帯品ともなりました。少し余裕があれば、その時筆者の頼りなげな想像力と創造力を刺激してくれて、物語生成の一助ともなってくれました。
 その包容力に満ちたダイナミックな創作意欲を高めてくれる、筆者にはまさに相棒に等しい辞典ではあります。その幸福なめぐり逢いを演出してくれた、蓮實重彦先生には、感謝だけでは足りぬほどの感情教育を促して頂きました。
 その勝手な一人よがりの私淑を、どうかお許し頂きたいとも考えて、ここに感謝の辞を一筆したためた次第。以上。
(了)