透明人間になりたかった、嫌な奴の私
この話は10年以上前に始めてスピリチュアルの世界に入り込んだ話を記録として残しています。「不器用な自分を愛するために」なんてサブタイトルをつけているけど若いころの私はそんな生易しいものでなかった。なぜあんなに「見えない・聞こえない」と連敗続きだった私が執着してスピリチュアルにしがみつこうとしたのか。それは当時の私が自分のことがたまらなく大嫌いだったから。「どうせ私が悪いんでしょ」というトゲそれもちょっと自信がないなんてレベルではない。私は性格が悪い救いようのない嫌な奴だと本気で思い込み世界に敵意を向けて生きていた。若い頃から仕事が全く続かなかった。どこへ行っても人間関係がうまくいかないか仕事が辛くなって辞めてしまう。「この会社が悪い」「誰も私の辛さを分かってくれない」「誰も私の本当の価値に気づいていない」そうやっていつも何かのせい誰かのせいにして自分を守ることに必死。「分かってくれない周りが悪い」と毒づきながらその実心の底では「こんな私だからどこへ行ってもダメなんだ」という絶望感が溜まっていた。透明人間への憧れ誰かに愛されたいとか認められたいという欲求を通り越して私の願いはもっと切実でもっと暗いものだった。「私の存在をこの世から消し去りたい」死にたいというのとは少し違う。ただ誰からも認識されず誰の記憶にも残らない透明人間になりたかった。自分の声自分の顔自分の放つ空気。そのすべてが自分自身を不快にさせていたような。いっそ跡形もなく消えてしまいたかった。今でこそ自分を愛することってとっても大事。これはスピリチュアル関係なく心の底から思う。けれど当時は「自分を愛する」なんて言葉を聞いてもこれっぽっちも重要だなんて思っていなかった。ただのナルシストと鼻で笑っていたかもしれない。スピリチュアルという名の「リセットボタン」そんな私にとってスピリチュアルは魔法で今の最悪な自分を別人に作り替えるためのリセットボタンぐらいに思っていた。真っ黒でトゲだらけで敵意に満ちたこの私を一瞬でキラキラした「清らかな誰か」に浄化してくれる魔法。あの東京の先生(ヒーラーさん)はキラキラしていた。幸せそうだった。そんな、藁にもすがる思いで扉を叩いていた。だからこそ東京のワークショップで何もできなかったとき私は人一倍ショックを受けた。けれどそんな真っ暗闇のどん底にいたからこそ地元で見つけた一対一のヒーラー講座だけはどうしても受けたかった。自分のことが嫌いで嫌いでこの世に居場所がないと思っていた私があろうことか「人を癒やす」という場所に無理やり自分をねじ込もうとしていた。言ってもその時は人を癒すなんて考えていない。自分のことしか考えていなかった。滑稽だけど当時の私にとってはそれが唯一残された自分を生かすための細い糸にみえていた。つづく。