「自分はどうしたい?」

 

 

そう自分に問いかける練習を始めたこのごろ。

 

 

ふと思い出すのは

常にトゲを立てて生きていた

かつての私の姿。

 

 

今思えば

私の人生はずっと

どこか「戦い」のようで。

 

 

根っこにあるのは

子供時代の記憶。 

 

 

母の機嫌ひとつで飛んでくる

暴力やののしり言葉。 

 

 

いつどこから

痛みがやってくるか

わからない家の中で

私が必死に覚えた生存戦略は

 

 

「自分の気配を消すこと」。

 

 

目立たないように。

透明な存在になって

嵐が過ぎ去るのを待つ。 

 

 

そうしないと

自分を守れなかったから。

 

 

そんな風に

自分を隠したまま

大人になった私は

 

 

転職を繰り返したのち

ようやくある職場に腰を落ち着けました。

 

 

そこは男性が多い職場。

私は無意識に

「男の人には負けてはいけない」と

肩を怒らせていた気がする。

 

 

今振り返れば

そんなに力む必要なんてなかった。

 

 

 でも当時の私は自分を守るために

正しさという名の鎧を

ガチガチにまとい周囲を牽制していた。

 

 

「私は正しい。間違っているのは、周りだ」

 

 

そう信じて疑わなかった私の世界が

音もなく変わったのは30歳ごろの時。

 

 

職場の同僚に

他の人の批判をしていたんです。

 

 

 「あの人が間違っている。あんなのおかしい」と。

 

 

話を聞いていた同僚が、

私を見て静かにこう言った。

 

 

「自分がおかしいとは思わないの?」

 

 

その瞬間

頭を強く殴られたような衝撃……ではなく

 

 

ただ「スーン」と

冷たい水が心に染み渡るような

静かな気づきがあった。

 

 

「おかしいのは、私の方だったんだ」

 

 

不思議なほど

すんなりと腑に落ちたのを覚えている。

 

 

ちょうど同じ頃に耳にした言葉。

 

 

「正しいことばかり言っていると人から嫌われる」

 

 

それもまた

鏡の中に映った自分の姿を

言い当てられたようで

静かに胸に刺さった。

 

 

周りが敵に見えていたのは

私自身が周りに敵意を向けていたから。

 

 

 私の放ったトゲが

周りの人を通して自分に返ってきていただけ。

 

 

そして

これは最近になってようやく気づき

思わずぞっとしたこと……。 

 

 

「正論」という武器で

相手をねじ伏せようとしていた

あの頃の私は

 

 

あんなに嫌っていた母と

同じことをしていたのかも。

 

 

暴力こそ振るわないけど

言葉の鋭さで

相手をコントロールしようとする。 

 

 

あんな風にはなりたくないと

心に誓っていたはずの

母の面影を

私は自分自身の中に飼っていた。

 

 

私に気づかせてくれた同僚には

今では心から感謝している。

 

 

今でもふとした瞬間に思い出す

忘れられない出来事。

 

 

 あの静かな気づきがなかったら

私は今も重い鎧を着たまま

孤独な戦いを続けていたかも。

 

 

「周りが悪い」と

外側を責めているうちは

どこまで行っても

私の心に安らぎは訪れない。

 

 

そう気づいたあの日から

私の長い「自分探し」の旅が

静かに始まった気がする。