地方での特に若い女性の転出超過による事象を指す造語である。
地方での女性の転出が北海道で男性の27.3倍。
東京都は女性の転入が男性の1.6倍、千葉県は2.4倍、大阪府では4.3倍。
日本47都道府県のうち8割以上が女性の転出超過のようだった。
ニッセイ基礎研究所が公表している2022年度の数字である。
私は数年前まで仕事で定住移住に深く関わった。
地方の人口減少や少子化の原因は若い世代の都市部への流出ではあるが、特に若い女性の流出が非常に深刻だったのだ。
少子化対策としてそこを見ようとしてこなかった。
何故ならばそこには不都合な真実があるからではないだろうか。
地方では全てにおいて男女不平等であり、多様性を受け付けない、人生を自ら描けないような極めて強い圧があるからである。
地方に生まれ育った年配の人達には当たり前過ぎて空気のようなものであり気付くことすらない。
気づいてもこれまで自分達が築き上げてきたものが根底から覆されるから見たくない…からではないだろうか。
若い女性が都会を指向するの当たり前の事である。
都会の方が華やかで楽しそうだというよりは、地方においては、男女不平等やこうあるべき圧が非常に苦しいから都会に行きたいのである。
圧を感じてきた母親は娘が都会の大学に行きたいというなら背中を押すだろう。
私もかつては、モドラネーゼ予備軍だったからだ。
大学卒業後は地元に就職して実家に住むことが両親の強い願いだった。
大卒後に地元での就職や結婚を考えるだに気が狂いそうだった。
大学では理系を専攻し男子学生とも同等に過ごしてきた。
しかし私が就職した30年前の地方の職場では、お茶汲み、補助業務、ニコニコ愛想よくだけど控えめに、知識があっても分からないふりをして男性をたてる…そうした事が当たり前だった。
男性が年下かつ学歴下であってもだ。
今も地区や家庭におけるバックヤードは相変わらず女の仕事である。
私は当時からそうした事に違和感があったが
そうした事に対して疑問を感じる方が考え方がおかしい、いちいち目くじらを立てるのは生意気だと言われてきた。
ここは地方、でも日本中どこ行っても同じ、仕方ないからと思考停止しないとやっておれなかった。
それは30年たった今もほぼ変わりがない。
そんな地元の状況なので、私は消去法で選択し比較的男性同等の待遇で結婚出産後も仕事を続けられる職業を選んだ。
地方が人情や自然が美しいので皆さん住んでください。
それは嘘ではない、が…綺麗事である。
今のままでは地方からの女性転出超過は変わらない。
若い女性は海外に出てしまうなどして捨てられてしまう国になってしまうのではないかと心配になる。
私達に出来ることは、1人1人の力は微力ではあるけど、家庭や職場や地域でおかしいことはおかしいと周囲に伝えることではないだろうか。
小さな呟きであってもいい。
皆んなが我慢しているからではなく。
皆んな我慢している事でもおかしな事が沢山あるからである。