研究室の当番中、勧誘に使える素材はないかとボート部の写真を見返していると、これまで過ごした日々がよみがえってきて、なぜか目頭が熱くなった。
私が入部したのは、2020年の5月。大学では、新しいことに挑戦したい、やるなら100%全力を注げるなにかをしたいと思っていた。そこで茨大のボート部を大学のHPで見つけ、オンラインで先輩と話して入部を決めた。ボートに乗ったことも、見たこともなかったけど、先輩とボートがかっこいい、ここなら頑張れそう、それだけが決めてだった。当時、私たち1年生の間の合言葉は、「伸びしろしかない」だった。とにかく叫びながらがむしゃらに練習した。
2022年2月、漕手からマネージャーに転向した。先輩が引退したら、マネージャーがいなくなることが分かっていた。私の同期は、ボートが大好きなタイチ。並外れたポテンシャルと向上心を持つツネ。自分が大会に出るよりも、チームとして強くなりたいと思った。チームのためなら何でもしたいと思った。私がマネージャーとして頑張ることで、みんなを勝たせたいと思った。
でも、どんなにマネージャーがやる気に満ち溢れていても、練習するのは漕手だし、大会にでるのは漕手。私がどんなに頑張っても、漕手のやる気度が格段に上がるわけではない。頑張りが数字にならないし直接結果に結びつくわけではない。マネージャーになっただけで、漕手との隔たりさえ感じた。なによりも、みんなが練習している姿をみると、ボートに乗りたくなった。半年もたたないうちに、漕手に戻りたくなった。
先輩が引退すると、マネージャーは1人になった。
ご飯づくり、献立作り、買い出し、ビデオ撮影、大会の手配、イベントの運営、学校とのやりとり、会計、会報作成。少人数の部活だけど、やることが少ないわけではない。仕事をしていると、どんどん次の仕事や問題がやってきて、それをこなしていくうちに、毎日が過ぎていった。でも、漕手にだけは負担をかけたくなった。なるべく雑務をやらせたくなかった。これが、チームが上手くいくための良い考え方なのかどうかは別の話だけど、漕ぐのを辞めてマネージャーをしているのだから、それ相応のことをやりたかった。漕手にはボートだけに集中できる環境を作りたかった。
2023年5月。タイチの引退試合、全日本選手権。
武田さんと中野さんのレジェンドに挟まれたレース。すごくいいレースだった。
2023年9月。ツネの引退試合、全日本大学選手権。
奇跡的に今年度入部してくれたスーパーストローク1年生のヒナとツネがダブルスカルで出場。伴走車でのビデオ撮影では、いつも「いける、いける」って念仏を唱えていたけれど、これがツネの最後のレースだと思ったら、涙が出てきた。私のやってきたことは、無駄じゃなかった、頑張ってきてよかったと、このとき初めて感じた。
結果は第5位。ヒナとツネ、本当におめでとう、ありがとう。
私のこれまでの大学生活はいつもボート部と共にあった。
上手くいくことよりも上手くいかないことの方がずっと多かった。
楽しいときよりもしんどいときのほうがずっと多かった。
不安がない時期はなかった。
所詮、大学の部活。
どんなに必死になっても、お金が出るわけでもないし、辞めても自分の人生に大きな支障が出るわけではない。
でも、こんな経験は、大学生でしかできない。
ここで学んだことは数えきれないほどある。
ツネとタイチ、監督やコーチ、先輩、後輩、OBOG、潮来の皆さん、茨大のボート部に関わってくださるすべての人から、大切なものをもらった。
このボート部で過ごした日々は、
他には代えられない、特別な時間だ。
私は、大学院で漕手として活動することを決めた。
ついにこの時がやってきた。今は、ボートに乗ることが、楽しくて仕方がない。
自分の身体は、案の定、壊滅的だが、過去の自分と比べるのは止めて、1年生のときと同じように、「伸びしろしかない」と思って練習している。
今の茨大ボート部は、ほとんど女子部員だけになってしまって、人数も少なくなってしまった。もちろん心配もあるけれど、大抵のことはどうにかなるよ!
来年度から2年生のヒナとマナカ。二人とも、オフシーズンの地道な練習にもしっかりと耐えて、毎日本当によく頑張っている。二人のおかげで、私も頑張れる。
マネージャー、サポート陣のみんな、みんなの気持ちは、よく分かる。自分のやっていることの意味が見いだせない時もあると思う。でも、今日のその1食のご飯が、今日の漕手の身体をつくっている。今日の漕手の元気の源になっている。いつも本当にありがとう。
この部で過ごせる時間はあと2年だけど、これからもこの茨大ボート部で、現役のみんなと一緒に、特別な時間を過ごしたい。
茨城大学漕艇部M1
井野日菜乃
↑レアな同期3人の写真
卒業おめでとう🎓