鎌倉時代に後鳥羽上皇と後醍醐天皇が配流された日本海に浮かぶ隠岐を訪ねて、9/28~10/13までの16日間にわたって、ゆかりの地や史跡名勝を車中泊しながら巡りました。

 

1~3日目(9/28~30)は、後鳥羽上皇と後醍醐天皇の隠岐への配流ルートを辿って岡山県から島根県へ

4日目(10/1)は、七類港からフェリーで隠岐・知夫里島へ移動後、後醍醐天皇ゆかりの地、赤壁

5、6日目(10/2、3)は、西ノ島へ移動後、国賀海岸、後醍醐天皇ゆかりの地、焼火神社

7、8日目(10/4、5)は、中ノ島へ移動後、後鳥羽上皇ゆかりの地、小泉八雲滞在地、木路ヶ崎灯台

9~13日目(10/6~10)は、中ノ島から島後へ移動後、後醍醐天皇行在所跡、ローソク島展望台など

14日目(10/11)は、島後・西郷港から本土・七類港へ移動後、道の駅あらエッサで車中泊

15日目(10/12)は、鳥取県・後醍醐天皇ゆかりの名和湊、名和神社、船上山、奥津温泉

16日目(10/13)は、岡山県・後醍醐天皇ゆかりの御駐輦場、洗顔清水、帰宅

 

後醍醐天皇配流時の「御駐輦場」から東へ約400メートルのところにある「洗顔清水」にやってきました。

上図は地元の町内会が製作した「旧出雲街道」の案内板で、左方向が東になっています。

 

 

「洗顔清水」に到着しました。

 

 

上図は、隠岐の黒木御所・碧風館にあった資料です。中国地方には、後醍醐天皇の隠岐島への遷幸(配流)・還幸(脱出)に関する伝承地が約120ヶ所あります。

出発前に伝承地を下調べして、隠岐へ訪問する前にできるだけたくさん訪問しましたが、上図③の「御駐輦場」と「洗顔清水」は抜けていたのを上図で知って帰りに訪問しました。

 

 

                       (黒木御所・碧風館の資料より)

③御駐輦場(ごちゅうれんじょう)と洗顔清水(せんがんしみず)の写真です。後醍醐天皇が隠岐へ配流された際、休まれた場所と顔を洗われた湧水です。

④の作楽神社(さくらじんじゃ)は隠岐訪問前に見学したのですが、落としていた③の伝承地を帰りに訪れました。

 

 

道路わきに説明板と駐車スペースがありました。

 

 

板が傷んで文字が見えにくくなった「洗顔清水(後醍醐天皇伝説地)」の説明板です。

元弘2年(1332)3月、後醍醐天皇は鎌倉幕府討滅計画の失敗により隠岐島に配流された。その際の美作通過の行程について、『太平記』や『増鏡』によると、播磨との国境杉坂から雲清寺(うんせいじ)、久米のさら山をへて院庄に入ったと推定される。

このうちの雲清寺の所在地については直接の手掛かりがなく、幕末の国学者・平賀元義らは、後醍醐天皇の歌「聞きをきし久米のさら山・・・」からこの辺りと考証した。

 

 

坂を下ったところに「洗顔清水」があります。

 

 

東屋の手前に石で囲まれた池のようになっていました。

 

 

「洗顔清水」と刻まれた石碑がありました。

昔からいかなる日照りにも絶えることのない清水で、後醍醐天皇はここで顔を洗ったと伝えられています。

 

 

透明ですが、流れは早くないようです。

 

 

道の下を通って反対側の田畑へ供給されているようです。

 

 

東屋に柄杓があって汲めるようになっているかと思いましたが見当たりません。

ここは飲み水には適さないようです。

 

このあと、南下して道の駅で休憩しました。

 

     ーーー  つづく  ーーー