中国地方の古寺名刹37ヶ寺からなる中国観音霊場と日本100名城・続日本100名城を巡る車中泊旅をしました。一度にすべて回るのは日数がかかりすぎるので、各県別に5回に分けて巡拝しました。
1番~7番札所(岡山県)、8~14番札所(広島県)の次に、山口県の15~21番札所を6日間で巡りました。
1日目(5/14)は、岡山県の自宅から山口県へ移動、特別霊場「般若寺」へ参拝しました。
中国観音霊場・特別霊場「般若寺」の駐車場へやってきました。
岩国の「錦帯橋」から1時間かかり、激しかった雨は小降りになりました。
般若寺(はんにゃじ)の案内図です。
海抜250メートルの山の上にあります。
駐車場にあった「みさき観音」です。
人々の心の岬(燈台)となり、人々の行く先を見守り(見先)、これより先は身も心も美しくあるように(美先)、この「三みさき」の功徳により、厄除け開運・諸縁吉祥・良縁成就を目的に建立されました。
そのみさき観音を囲むように般若姫物語のパネルがありました。
「般若姫 絵ものがたり」です。
『満野長者旧記 三巻』をもとにして、般若姫伝説を絵物語にしてあります。
要約すると、
般若姫は豊後の国(大分県)の満野長者の娘であった。用明天皇がまだ橘豊日皇子と呼ばれていた頃、長者の館に下向され見染められたのが縁で、姫を召されることとなり船団を従えて船出したが、嵐に遭い、海を静めるため般若姫自ら大畠の瀬戸に身を投げたといわれており、毎年大晦日の夜には般若寺と大畠瀬戸の明神様、周防大島の松尾寺に火の玉が飛ぶようになった。
寺務所です。
御守り、護摩祈願、御朱印等の受付をしていますが、このときは無人だったので、インターフォンで呼び出して、納経帳に御朱印を書いてもらいました。
仁王門です。
像高約2.3メートルの木像金剛力士像(仁王像)は、ヒノキ材の寄木造りで、鎌倉時代に造られています。現在の像は平成26年(2014)に修理されました。
「仁王門の真ん中に沈む夕日の輝きは「極楽浄土」の輝きである」と紹介してありましたが、如何せん雨なので夕方まで待たずに引き上げました。
長い石段の上に、観音堂があります。
その途中にある、十王堂です。
堂内には閻魔大王が鎮座して、「いつもみとるぞ!」と言っています。
閻魔大王が持っている「浄玻璃之大鏡」により、日々の行状をありのままに映し出しています。
「お参りの仕方」に書いてある通りに、「蜘蛛之糸」を握り、「浄波瑠之鏡」に自分の姿をしっかり写し「合掌」後、十王堂の周りの敷石を「南無阿弥陀仏」と唱えながら時計回りに三周巡り、再度「浄波瑠之鏡」に自分の姿を写し、「生きている」ことに感謝し「合掌礼拝」しました。傘を差した私が鏡に写っています。
敬虔な気持ちになって、鐘楼堂でやさしく鐘を撞きました。
般若寺の銅鐘は、13世紀初め(約700年前の鎌倉時代)に鋳造された貴重なもので建長7年(1255)の銘があり、700年にわたって妙音を響かせている山口県の重要文化財です。
観音堂です。
般若姫の化身「聖観音菩薩」を祀ってあります。
用明天皇の妃で、瀬戸の荒波を鎮めるために海に身を投じた般若姫の供養として、用明天皇の勅願により、慧慈和尚が開基したと伝えられています。
線香、ローソクを立て、賽銭、納札を納めて、合掌礼拝のあと、お勤めに入りました。
般若心経
御本尊・聖観世音菩薩の御真言「おん あろりきゃ そわか」
回向文
を唱えて合掌礼拝して終わりです。
観音経は知らないので唱えませんでした。
雨のため霞んでいますが、瀬戸内海の島々が見えました。
観音堂の参拝を終えて、極楽橋を渡って本堂へ向かいました。
滅罪と破地獄の真言が埋められている敷石の上を歩きました。
本堂です。
右の柱に「用明天皇勅願」と書かれています。般若姫の菩提を弔うため用明天皇(聖徳太子の父)の勅願により満野長者が伽藍を建立したのが創立と伝えられています。
真言宗御室派で、御本尊は大日如来です。
我が家も真言宗なので、線香、ローソクを立て、賽銭を納めて、合掌礼拝のあと、お勤めに入りました。
般若心経
御本尊・大日如来の御真言「おん あびらうんけん ばざら だとばん」
回向文
を唱えて合掌礼拝しました。
四国八十八ヶ所参道があったので、「お山めぐり」をしましたが、別に景色が良い所もなく山頂までやってきました。
山頂にある「奥の院」です。
神武天皇の兄神「熊毛神」が鎮座されています。
中国観音霊場・特別霊場「般若寺」の御朱印です。
このあと、周防大島の「グリーンステイながうら」で日帰り入浴しました。
ーーー つづく ーーー


















