第586回 落語研究会 17.4.26 | i10k2のブログ

i10k2のブログ

視線は真っ直ぐ、視点は真ん中、視界は広く。


平成29年4月26日 第586回 落語研究会 国立劇場《小劇場》

この日は、市馬落語集と文菊ひとり会とのチケット3段重で、それぞれ代理出席を立てて3つとも空き席を作らないで済んだ。

湯島天神の用事を済ませて国立劇場に向かって出たら、石段上で文菊さんとすれ違い。
どーも―の挨拶に合わせて、こちらもどーも―と、お疲れさまと。

国立劇場は、この日から新年度で、臨席は人が変わる。
ご常連席開始から数年間は一寸汗ばんで着席する人で、ずっと動かし放しの指が目の端に入り落ち着けなかった。
ここ2年は普通の人で、落ち着いて聴けた。

この日からは、、開演前から憂鬱。

柳亭こみち
紋付きで出てきて、新郎の母でございます、と。客席大笑い。
落語研究会は一方ならぬ思い入れがある、と。
前座時代は高座返しで、二つ目になって太鼓で毎月通って御簾内から皆さんと顔を合わせていた、と。

自分が出たときに誰が太鼓を叩いているかといえば、大きい太鼓と小太鼓を一人で叩くが何と一之輔師匠。
会場の大きい拍手に、いいなあ名前を言うだけで拍手をもらって、と。
それと、鉦が鳴っていたが、ヨスケは文治師匠だ、と。盛大な拍手を、と。
豪華な幕開けだった、と。

今年真打ちになる、と。先程より大きな拍手をありがとうございます、と。
名前の話は先日の巣ごもりでの話と同じ。

前座4年間で太鼓をうまく叩けるようにならなかった人は、あいつには叩かせないという空気を作るのが必須、と。
長唄を習っている話やミュージカルの話から、豊竹屋
短い噺なのでマクラを長く。

古今亭志ん陽
名前の最後の一文字変えれば志ん生にも志ん朝にもなる、と。
医学の発展と、疝気の虫
カバンとちんととぱっぱや台詞で習ったと思われる大師匠の顔が浮かんでくるだけに。
鳴り物とのリズムが。

桂文治
私も今年の8月で50才、、、どこでもこういう感じになる。とうに50は過ぎているだろうと、と。
早稲田の清宮に似ていると言われるがあっちの方が似ているんだ、と。
大分出身で父親の理解で噺家なったマクラの下げは宮崎の芋焼酎。
二十四孝
うーん。

仲入り

春風亭一之輔
ここはネタをドンと出しているが、ひねくれ者でやりたくなくなっちゃう、それをやる気を起こすのが、と。
十人十色、、、、今入ろうとしてやになっちゃう、、、粗忽と申しますが、、、、粗忽なんて言わない、、、、と。
習った林家鉄平師匠の話。一生忘れない、と。
帯を忘れたときは風呂敷で、同じ足の足袋は片方ひっくり返して、両足忘れたときは靴下でも、と。
落語に出てくるそそっかしいのはと、やっと堀の内。風呂屋まで。

柳家さん喬
季節の話は鯉のぼり。
初夏の風情になりビールがと、酒を飲む人のあれこれから、ひとり酒盛
いつ聴いても嫌な噺だ。
上手くやればやるほど滅入ってくる。





今度の隣は、肘掛けに肘を置きはみ出し、ガムを噛むので臭いが、胸の前で組んだ動かし放しの指が目に入りわずらわしい、足はおっ開きでこっちの方にはみ出し、暑くもないのに丸首半袖で素肌の腕、はみ出しの手足は触っても絶対動かないという意思の下で不動。
始めての常連席で気が高ぶっていての事で、段々落ち着いて普通の聴き方になってくれれば良いが。
このままなら来年は更新できない。