蚊の一刺し | 林秀子のフラクタル心理カウンセリング

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夜明けに近い深夜、いきなり目が覚めた。

プーンという音が、顔にとまる。

パシッと打つと、蚊という招かざる客です。



この世に生きる生命は生まれ続けて

終わりがないとすると、マックスになる?


死に行くものあり、新たに生まれくる命あり。



かつては、輪廻転生の意味を、

生まれ変わり、死に変わりすることと考えて

歴史もあると、信じて疑わなかった。


そこから霊界の話にも興味を持ってきた。



亡くなった家族は、霊界に行き、そこで

それぞれの学びを続け


残した家族を時々、あるいは

ジッと見守っていると思っていた。


それは、安心感と言えば聞こえが良いが、

自分は、今 こうして良いのか?

と語りかけて 依存し、縛っていた。



家族という存在

友人、知人、目に映る人々

それらの人達と、かかわり合う自分


周りに見ていることは、事実なのか?



自分が、「この人はこういう人だ」と見ると、

そのように、その人は演じて行く。


すると 「ほら、やっぱり、自分は正しかった」

そう思ってしまいます。


でも、思った通りだと言うならば、

思った通りにしているだけだと言える。


その人への決めつけは、事実と言えましょうか?



大きな映画館で、ジャンルを選んで見るように

アクション物が良ければ、その部屋に入り、


世界はロマンティックであって欲しいと想えば、

それ系を見て、夢見ごこちになるでしょう。


世の中を見る目は、映画を見るようなもの。


今見ている人生を

生きようと思えば、長生きをするし、

これでさようなら!と思えば去るのでしょう。



霊界という、もう一つの世界で暮らすと思うも、

思わないも、それが事実かどうかというより、


そうあって欲しいと願っていれば、

そういうことを書いた本を、手に取り、

事実と思える状況を作り出すのだと思います。


本の中に書いてある、霊界通信という手段を

事実として受け入れるも、受け入れないも

読み手の自由なんですよね。



輪廻転生の捉え方も、宇宙・フィールド、という表現も

自分好みの、生き方への指針の一つだと思います。



真夏の夜、一匹の蚊の訪れで、なんとなく考えたこと


生と死は事実ではない


命は無限!