鋸山の「地獄のぞき」などは、
死ぬかもしれない恐怖があれば
とても出来ないでしょう。
そんな状態かどうかは、師がついていれば
見抜くでしょうから、心配なかったのでしょう。
阿闍梨となるのも、宗派によって、凄い修行をします。
天台宗の場合は、千日回峰行があります。
(ここに書くより、検索されることをお勧めします)
修行者が、このように
「今死ぬことを承知して、今生きる」のは
執着を捨てるためでしょうか。
そんな覚悟に通ずるとは、言えないまでも、
物を書いたり、主張したりする場合、
誰かに媚びを売る必要はありません。
褒めてもらいたいわけではありませんね。
応援してくれる人あり
反発する人あり
その人達を創りだすのは、本人(自分)です。
今の自分に必要な人、大切な出来事だと
捉えてみれば、意味がわかります。
上をめざすあなたの為に、自分が起こしています。
頑張れ、自分!!
絶対大丈夫!!
と言いましょう。