あなたは稲妻のように | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

落雷の瞬間を見たことある?

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昔は雷が怖かった。
雷が鳴るともう訳もわからずに怖くてたまらなくなって、ひたすら雷雲が去るのを待っていた。
学校で雷の鳴る理屈を習ったあとは、ピカッと光ったら数を数えて、まだ遠いからと自分をなだめていたっけ。
 
大学生のころに、雷を見に行ったことがある。
当時付き合ってた人が面白がって、「外で雷を見よう」と雨の中車で出かけたのだ。(若気の至り、バカともいうw)
嵐のような風雨の中、暗い闇を裂いて稲光が光る。
ちょっと離れた山の中に向かって、光が走る。
私は悲鳴を上げて耳を押さえ、知らないうちに泣いていたらしい。
私の涙に興ざめしたのか、同情したのか、一応「ごめん」と言ってたから悪いとは思ったんだろうな、そのまま帰った。
ということは、落雷の瞬間は見てないな。うん。
 
親元で暮らしている時は単に怖がっていればなんとかなった。停電に備える準備とかそういうのは親がやってたし。私はただ怖がっているしかなかった。
親元を離れて自分で暮らしていくようになったら、ただ怖がっているだけではどうにもならんということに気づいた。
そこで私は分析してみた。いったい私は雷のなにが怖いのか。
 
まず大前提として、雷がなるような空模様のときは、天候が不穏だということがある。
すでに雨が降っているか、もしくはこれから降り出すか。青天の霹靂は今は脇へ置いておく。
雨が降っているというだけでまず不安要素が確実に一つあるわけだ。
そして、あの音。
光が怖いのは次に来る音を予想させるからである。ピカッときたら次はゴロゴロと来るぞ、と。
あの音は腹の底にまで響く。いかにも天空で良からぬことが起きているかのようなまがまがしさもある。そして地上へ向かってドーンと落ちてくる。
たまに、地上に向かわずに雲の中を走り回るような雷もある。あれは不思議な感じがして、面白いなと思う。ゴロゴロドーンという下向きの直線ではなく、ゴロゴロゴロゴロという左右の動き。まあそれでも、いつ気を変えて下に落ちてくるかわからないと思うと恐ろしいんだけど。
光と音も怖いけど、なんといってもその本質が恐ろしい。雷の本質は電気なのだ。
「電位差による放電現象」のことを雷というらしい。それが地上に向かって放電されたら「落雷」というわけだ。
電気だからなー。まともにくらったら破壊されちゃうわけですよ。大木ですら裂けちゃったりする。そういう巨大なエネルギーって怖いでしょ。
 
子供の時に雷が怖かったのは、停電という状態とイコールだったからだと思う。
昔はよく停電したんですわ。雷が鳴ったら停電する。これはかなり可能性の高いことだった。
そして私は暗闇が怖い子供だった。(まあたいていの子供は怖がると思うけど)
それまで明るく点っていた電灯がぷつっと消える。冷蔵庫のモーター音が止まる。
ろうそくの明かりはなぜか闇を強調させる。
よーく思い出してみたら、ここまで典型的な「停電の夜」は体験したことがないみたいなのだが、私の中では「雷=停電=真っ暗で怖い」という図式ができあがっていた。だから実際に停電するかどうかは関係なくて、とにかくピカピカゴロゴロで「怖い!」になっていたようだ。
 
一人で生活するようになったら、暗闇がそれほど怖くなくなった。
状況を自分で把握できるようになったからだろう。子供の時は周囲の大人が決めたことばかりで、自分にはわからないものがたくさんあったから暗闇が怖かったのだと思う。
暗闇が怖くなくなると、停電も怖くなくなった。もちろん困るんだけど、子供の時のような「停電する!!」というこの世の終わりのような恐怖感はうまれなくなった。
それに、だんだん「停電」という状況そのものが少なくなってきた。あれは電力会社の努力のたまものなのだが、とにかく停電時間を極力短くするためにさまざまな工夫をしているらしい。
大規模災害の時はどうしようもないのだが、日常の停電はほぼなくなっているらしい。停電してもほんの一瞬で復旧するとかね。(そういう状態が当たり前になったせいか、逆にちょっとでも長く停電してると苦情が殺到するらしい。困ったものだね)
 
停電に対する心構えさえできてしまえば、気持ちにも余裕が生まれる。
今住んでいるところは山が近いので、雷が発生するような天候のときはかなり近くで雷鳴が聞こえる。一瞬、昼間かと思うような明るさになったかと思うと、パリパリパリと硬い薄物を破るような音がして、地響きとともにドーンという音がする。そういうときはたいてい、近くの山中のどこかに落雷している。家の床がビリビリと震えるくらいの振動が発生するので、本当に雷のエネルギーって莫大なのだなあと感心してしまう。
 
今は、心の隅っこのほうに「雷が怖かったころの子供の私」がいて、こわごわとこっちを見ている感じがする。「大丈夫? 大きな音がしたけど。電気、消えたりしない?」と小さい声で訪ねてくる。私は無理にでも笑顔を作って、「大丈夫、ただ大きな音がしてるだけだよ。ここには落ちてこないよ。停電してもすぐに元に戻るよ」と伝える。
そうやってその子と二人で窓辺に立って、青白く光る夜空を見上げているのだ。私の膝が微かに震えていることに気づかれないようにしながら。