10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう


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      片山るんのページ



タイトルがすべてなんだが(笑)

 

気づいたらそれくらい歯医者から足が遠のいていた。

50歳のときに市から検診の通知がきて、ふと気の迷い(笑)で行ってみたのが運の尽きだった。

その時の治療がトラウマになってしまい、歯医者のことを考えただけで不安の渦に巻き込まれてしまうようになってしまったのだ。

以来ずっと、歯茎が腫れようが歯が抜けようが、歯医者に行こうとは思わなくなってしまった。

それが今回の事態を招いたことは重々承知してる。

 

基本的に病院とかお医者さんとかに不信感があるので、できるだけ行きたくない。

歯医者は行ってみなくてはわからないところも怖い。(それはどの分野でも同じだけど)

行って治療が始まってしまうと、途中で離脱することが難しいから、まず行くだけで躊躇してしまう。外れを引くことばかりだったから、行くことすら怖かった。

でも、今回はそうも言っておられず、重い腰を上げて予約をとった。

ホームページを見たり、先にそこにかかっていた夫の印象も聞いたうえで決めた。

 

初診の印象は悪くなかった。新しいだけあって病院もきれいだし、歯科衛生士の人たちの対応も丁寧で穏やかだった。なにより、「歯石取りが怖い、というか気持ち悪い」という私のわがままをいったん受け止めてくれたのがよかった。

怖いですよね、と、歯科恐怖症を受け止めてくれたのがうれしかった。

レントゲンをとり、歯の状態を検査して、丁寧に説明してくれた。

その病院では、治療のときに顔にタオルをおくシステムらしい。これもありがたかった。

仰向けになって、まぶしいライトに照らされて、医者の顔を見ながら(ということはこっちの顔も見られながら)口の中をいじられる、という事態は避けられた。

タオルをかけることで、患部(口の中)だけが露出している状態になったのだ。

この安心感は大きい。

 

初診だったので、今後の治療方針を立て、メンテナンスの方法を説明しただけで終了した。

現在の複雑な歯の状態にあった歯ブラシも購入した。

これから長期戦が始まる。ゴールは見えないが、まあなんとかなるんじゃなかろうか。

私は、老眼などの老化現象に対する抵抗が少なくて、仕方ないじゃんとあっさり受け入れることができる。老眼鏡なんて、40代くらいでちょっと見えづらいなと思ったときにすぐに導入している。無駄に老化に逆らうよりも、字が見えづらい苦痛を和らげるほうが優先だったからだ。

だから、歯も、早々と総入れ歯になるとしても受け入れられると思う。

不具合に耐えるほうがいやだからね。(といいつつ15年も放置してたわけだがw)

 

もうそんなに残ってないかもしれない人生にお金をかけるのもどうかなと思っていたのだが、もしかしたらまだ死なないかもしれないので、ちょっとだけQOLをあげることに力を注ぐことにしてみる。

 

ふと。今回この事態をわりといい感じで乗り切れたのは、演劇をやってたからかもしれないと思った。前回のトラウマ体験のときは、まだ何もやっていない時期だった。あの後から演劇を始めたことで、ちょっとコミュニケーション能力が向上したのかもしれない。

ちゃんと説明できるようになったし、こちらの要望もちゃんと伝えられるようになってた。

成長してんじゃん(笑)

秋の天気は長続きしないというけれども、雨はひたすら続く。

今日みたいな晴天が珍しく感じられるっていうのもなんだか残念な感じである。

とはいえ貴重な晴天なので、布団を干したり洗濯物を干したりしている。たまたま今日は何の予定も入っていないので、ゆったり落ち着いて家で過ごそうと思っている。

天気がいいと出かけたくなる人のほうが多いのだろうが、私は逆に窓から青空を見上げつつ家にこもっているのが大好きなので、こういう日こそひきこもりたくなる。単純に外出がめんどくさいっていうのもあるんだけど。

 

昨日は秋分の日であった。昼と夜の長さがほぼ同じになる日。

この月は夕方6時ごろの月である。月齢は11くらい。丸くなり始めの月だ。

日が落ちて少しずつ明るさを増している。

昨日の二日前、月曜日は台風が去った後で、同じ時間の空が怪しく燃えていた。

これね。

 

ほぼ同じ時間に撮った写真なのに、空の色が明らかに違っている。

昨日はすでに日が落ちたあとで、夕映えはほぼ消えていた。

たった二日のことでこんなに日没時間が違う。天体の動きからしたら当たり前のことなのだろうが、つくづく不思議だなあと思う。

月の形だって、一日たてば全然変わる。理屈を知っていれば当然のことだとわかるけれども、それでも目にする月の形に毎回新鮮に驚きを感じる。

 

昨日は穴の会の稽古があった。

私はまた直前に新しい解釈を発見していたので、それを試してみた。

それは、ラスト直前にある「魚をおろせる主婦って減ってるんですってね」というセリフの解釈だった。今まではここを「かろうじて持っているプライド」みたいな感じで言っていたのだが、どうにも前後にしっくりはまらないでいた。特にこの後に続くセリフがどうにもおさまりの悪い感じになっていたのだ。あげくにラストのセリフが決まらない。

どうしたものかと思っていたのだが、ふと「これはもしかしたら、恐ろしいことに気づいてしまったというニュアンスのほうがいいのではないか」と思いついたのだ。

自分がガラスの壁に囲まれて魚たちに飼われているような環境が現実なのかもしれないという不安を抱えた人が、不安打破のためにあえて魚をさばいてみる。しかしそういうことができる人が減っているということは、「魚をさばいておろすこと」自体がよくないことだとされているのではないだろうか、と気づく。だとしたらこれはとんでもなく危ないことをしているわけだ。喜んで食べている夫や子供の存在もまたあやうい。「だから」私は食べないと宣言するのだ。

そんなふうに解釈してやってみたところ、わりと好評だった。筋が通ってる感じがする、と。

私もやってみてしっくりきた。たぶんこの路線でいけると思う。本番でぶれないといいけど。

 

情報の少ない台本だからこそ、一つの文章、一つの言葉にこだわらないと背景が見えてこない。

このモノローグをやりはじめてから、その重要さに気づいた。

ほかの人との関係性で表現できる芝居と違って、一人芝居は自分しかいない。穴の会の公演だと舞台装置もほぼなくて(あっても机といすだけ)、照明や音響もほぼない。そんな中で、お客さんに楽しんでもらえる作品を作るためには、どこまでもこだわっていくしかないのだ。

穴の会の場合は、稽古の時にほかの人たちに見てもらえる。その場で感想や意見がもらえる。

こう見えた、こう感じた、こうしたほうがいいんじゃないか。そういうフィードバックがもらえるのが穴の会の大きな特徴だと思っている。

もう来週末には本番なのかと思うとドキドキしてしまうけれども、早くやりたいという気持ちも強くなっている。本番の会場で、お客さんを前にしたときにどういう感じになるのか。それもまた楽しみである。

 

一か月遅れにはなったが、やっと「その音が聞こえるか」のたたき台ができた。

昨日、なぜかぐんぐん筆が進んだのである。

しばらく寝かせておいて、もう一度推敲して決定稿にする予定。

 

4月の「春なのに」終わりで来年のお題を聞いてからずっと考えていた。

今回はかなり早い時期の着手であったはずなのだ。

しかし台本は迷走した。キャストは決まっていたが、そこからどういう物語を紡ぎだすかが決まらなかった。

毎度のことなのだが、物語が決まって書き始めるまでにはかなり試行錯誤する。

いろんな設定が生まれては消えていく。だいたい最初に思いついた枠組みは消えることが多いな。とにかく素材をぐにゅぐにゅもんでいるような状態である。

 

以前は一つ思いつくごとに一つファイルを作るような形で書いていた。

原稿用紙に手書きするのだったら紙を替えればいいだけのことなのだが、ワードを使ってるとそのたびごとにファイルができてしまう。いちいちほかのファイルを開くのはめんどくさいなとは思っていた。で、前回あたりから、そのままどんどん書き続け行く方式に変えてみた。

ページこそ移動するけど、とにかく思いついたことを書いていく。こんな簡単な方法になぜ今まで気が付かなかったのかな。ワードを開いたらそのページには一つの物語しか書いちゃいけない、完成されたものを書かなきゃいけない、とどこかで思い込んでいたらしい。

その思い込みを捨てて、「どんどん書き足す」方式に変えたのがよかったのかもしれない。

前に書いたものを読み返し、またノートのメモを読み返し、そうしているうちにちょっとずつ物語が固まっていったのだと思う。

 

今回は、自分としてはけっこう踏み込んだ話になったと思っている。今までだったらふんわりオブラートにくるんで、何気なく通り過ぎるような書き方しかできなかった話を、ちゃんと直接対話で書くことができた。

そういう話だから、ぐずぐずと先延ばししていたということもある。書きたくねえなあと心のどこかで思っていたのだろう。

ほんとに書けるのかなあと不安にも思っていた。

 

書けるときの、予兆というか、手ごたえみたいなものは確かにある。

昨日も最初の内は「なかなか話が進まないなあ。動かないなあ」と思っていたのだが、ある瞬間に「そうか、ここで転じればいいのか」と思いついた。書いてみたらそこからぐんぐん話が進む。「あれ、これ終わりまでいきそうだぞ」と感じたときの気持ちといったら。あれはきっと脳内で快感物質が大量に放出されていたにちがいない。

 

私はプロセスが書けない。だいたいの道筋は考えるんだけど、どうも自分が考えた道筋に沿って書くのは面白くないのだ。

だからいつも、ふんわりと大枠を決め(どういう話か、くらい)、何かしらのトピックを考える。目立つモチーフとか出来事とかを考えてみる。このエピソードは使いたい、というものが見つかればラッキーである。あとは、そういうものをどこにどう配置するか。登場人物たちはどういう人間なのか。背景は? 過去は? そしてこの物語の終着点はどこになるのか。

これらを同時に考え続ける。気になる言葉やセリフを見つけるとノートに目もする。

ずーっとこうやってもにゃもにゃ考え続けてて、ようやく少しずつ形が見えてくる。

今回の物語も「これでいこう」と決まったのはついこの間だった。たくさん引いた補助線を消して本線一本に絞ったのだ。絞ってからも難航したけど、書けるときってなぜか突然ぶわーっとあふれてくるのだ、何かが。まるで自分の中にある異物を吐き出すかのような感じ。

こういう言い方はあざとくて恥ずかしいんだが、実感としてはほんとに「キャラクターが勝手にしゃべりだす」感じである。ばーっとキーボードを打って出てきた文字列を読んで、「あ、そういうふうに思ってたんだ」とびっくりする。

登場人物同士のやりとりも、なぜかスムーズに出てくるし、ラストシーンも浮かんできたりする。

こういうの全部、実際に台本を書き始めなくては出てこないのがちょっと困るところではある。

 

とはいえ、まだ第一稿であり、これからもうちょっと内容を精査していかなくてはならない。

まだ「クリームの塊をぼたっと置いただけ」な部分があったりするのだ。そのクリームを滑らかに塗り広げ、継ぎ目がわからないようにしなくてはならない。

それでも土台があるっていうのは心強い。まずはたたき台ができないと話が始まらないからね。

ようやく肩の荷が下りてほっとしている。やっと積んでいた本が読める。