ゲームについて考える | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

私は本当にダメ人間なのかもしれない。

 

ずっとうっすら感じてはいたのだが、どうやら私は「ゲーム」が苦手らしい。もしかしたら嫌いなのかもしれない。いや、苦手だからうまくできない→嫌い、という流れなのか。

 

一口に「ゲーム」と言ってもいろんな種類がある。

子供のころは、「人生ゲーム」が好きだったし、トランプのゲームも好きだった。

高校生のころは、しょっちゅうトランプで遊んでいたものだ。

花札も、坊主めくりだけじゃなく、ふつうに役を覚えて遊んだりもしていた。

私が子供の頃はまだ、アナログのゲームしかなかった。だからそれほど自分が「ゲーム」を好きじゃないのだとは思っていなかった。

時が過ぎて、デジタルのゲームが世の中に出てきた。

大学生のころに、インベーダーゲームが流行ったなあ。喫茶店には必ずインベーダーゲームの台があって、みんな夢中になって遊んでいた。

思えばあのころから、なんかついていけないものを感じていたのだ。

やってみたことはある。でも下手くそだったこともあってか、何が面白いのか今ひとつ理解できなかった。うまくできないからこそハマって夢中になる人もいたのに、私はそうじゃなかった。

 

あれ以来、結局デジタルのゲームには興味を持てないままである。

世間で話題になるゲーム(マリオだとか、ドラクエだとか?)が一切わからない。

聞きかじりの知識の断片はないわけじゃないけど、ゲーム自体をやったことがないのだ。

 

なぜなんだろう、と時々考える。

なぜ私は「ゲーム」に面白さを感じられないんだろう。

最近は、デジタルだけじゃなく、ゲーム一般に対して面白さを感じられなくなってきている気がする。

先日、芦沢央さんの新刊「魂婚心中」を読んだのだが、その中に「ゲーム実況」の話があった。

これがまあ、笑ってしまうくらいにわからない。いや、書いてあることはわかる。わかるのだが、その向こうにある「ゲームの面白さ」が全然わからないのだ。

いろんな決まりがあって、それをクリアしていくことでゲームが進行する。一定の成果をおさめたらゲームクリア。その過程のあれこれにたぶん面白さがあるんだろうと思うのだが、自分でもびっくりするくらいそのことに面白さを感じられなかった。

これってどうしてなんだろう。なんか欠陥でもあるんだろうか。

演劇仲間にもゲームが好きな人はたくさんいて、よくそういう話をしているのを耳にする。

そういうとき、猛烈にうらやましくなる。ゲームが楽しめていいなあと。

なんで私は楽しめないんだろう。

 

攻撃型じゃなくて、物語型がいいのかもしれないと進められて、RPGのゲームをやってみたことがある。なんていうゲームだったかは覚えていないんだが、とにかく最初の画面からまったく進めなかった。なにをしたらいいのかもわからなかったし、操作を教えてもらって(扉を開く、とか、洞窟の中に入っていくとか?)やってみても、それがなんになるのかもわからず、ずっと同じ場所で足踏みしていた。

たぶん私は、「試してみる」ということができないのだ。ああいうゲームはいろいろ試してみて、可能性を探っていく必要がある。なのに私は最初の「試し」がどうしてもできないのだ。あるいは、かろうじて一つ試してみてダメだったら、もうそこから動けなくなってしまうのだ。

そうこうしているうちにゲームオーバーになってしまい、私の中でもそのゲームが終了してしまう。

これって、「完璧主義であるがゆえに失敗を嫌う」ってことなんじゃないのか。失敗を嫌うあまりに、行動できなくなってしまう、っていうパターン。

ゲームなんだから気楽に楽しめばいいのに、と頭では思っているのに、いざやってみるとなんとか失敗を回避しようとムキになってしまう。回避できないとわかったら最初から挑戦すらしない。とことん失敗が怖いんだなあ。

 

演劇のワークショップでよく「シアターゲーム」というのをやる。ワークショップの始めに、全体の雰囲気を和らげるアイスブレイクである。

このシアターゲームも苦手なのだ。ゲームだから、成功と失敗が設定されている。ゴールもある。でも目的は雰囲気作りなので、成否や到達は実はそれほど重視されていない。にもかかわらず、私はなんとか失敗せずにやり遂げたいと思ってしまうのだ。むしろ失敗したほうが好ましいという状況であっても、無意識のうちに失敗を回避しようとしてしまう。するとどうなるか、というと、私にとっては、可もなく不可もなし、当たり障りのない結果になってしまうのだ。

居ても居なくても変わらなかったね、みたいな感じ。

シアターゲームにおける「失敗」とは、答えが当てられないとか、鬼につかまってしまう、とか、決められたゴールに到達できないとか、そういうことを指す。どれも全然たいしたことじゃない。にもかかわらず、私はそういうことをとても気に病んでしまうのだ。それが嫌でシアターゲームはあんまりやりたくないなと思ったりする。

 

今では、デジタルゲームどころか、アナログのゲームすら楽しいと思えなくなってしまった。

「決められたルールに則って行動しあらかじめ決められたゴールに到達する」、それだけのことに思えてしまう。いろんなパターンがあると言っても、結局は決められた枠の中でのことじゃないかと思ってしまうのだ。

ゲームを楽しめない私は、本当につまらない、だめな人間だなと、最近つくづく思う。