藤枝ノ演劇祭3 振り返り | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

「意味ナンテ意義ナンテ、ソレヨリ意外ナ」

というのが今回の演劇祭のキャッチコピーでした。

終わってみてしみじみ、ああ、このキャッチコピーに集約されるなあと思っています。

 

こういうことをやる意味は? とか、どういう意義があるの? なんていう疑問を持ちだしたらもう何もできなくなるわけです。そりゃ深く考えたら意味も意義もあるんだろうけど。でも表面的に見たら意味も意義もよくわからん、というのが本当のところ。

私にとっては「ソレヨリ意外ナ」が深く心に刻まれたイベントでした。

 

プレ演劇祭である「1964タイムスリップ」に関わってからずっと、この演劇祭に参加してきました。

タイムスリップの時は、とある会場をお借りして、脚本を書き演出をし自分も出演するという形で作品を作りました。

今思うとあの会場を借りられたのはとてもラッキーだったなと思うのです。

もう使っていない、結婚式とか宴会ができる会館だったので、待機場所やトイレの心配もしなくてよかったし、芝居の稽古も心置きなくすることができました。また、その時は観客巻き込み型ではなかったので、舞台と観客の間にはきっちり線が引かれていたんですね。そういう意味ではいつもやってるお芝居と同じで、芝居だけに集中していることができました。

しかし今回は、ある意味イマーシブな演劇だったのです。

実際に営業中のお店が舞台で、そこに入ってくるお客さんも巻き込んでいく。

うちの設定は「ロケ地ツアーに来た人たち」で、その人たちがお店に入ってきたという想定でした。だから役者たちはその人たちを「店のお客さん」という気持ちで対応するわけです。

こちらもドキドキでしたが、お客さんの方もドキドキしていたんじゃないかと思います。

一日6回ツアーがあって、その都度参加するお客さんは変わります。で、今回事前予約の数があんまり多くなくて、「もしかしたらガランとした店内になるかもね」なんて話していたのですが、蓋を開けてみれば毎回想像以上のお客さんが参加してくれていて。

途中から登場する役が二人(うち一人は私)があったのですが、お客さんの前に出るたびに本気で「おお!」と驚いていました。芝居上もその驚きは想定されているのですが、演者にしてみれば毎回新鮮に驚くことができたわけです。これは「意外ポイント」でした。嬉しい「意外」です。

また、事前に稽古していたときは、ツアーのお客さんたちがどれくらいノってくれるかを心配していました。「まち歩きの途中で演劇を見るだけだと思っていたのに、なんかすごく絡んでくるよ」と思われるんじゃないかと。でもこれも意外にノリノリになってくれてました。ツアーの印として過去チラシなどで作った紙製のメガネをお配りしてたんですが、みんなそれを装着してくれていたんですね。もうその時点で「楽しんでやろう」という意気込みが感じられました。

そのおかげで、「実店舗の中で、日常生活のワンシーンを演じる芝居を観る、なんならちょっと話しかけられる」というぎこちなさが緩められていたのではないかと思います。

 

そう、今回のうちの芝居は、本当になんでもない日常生活のワンシーンを描いたものでした。

1964の時は、「結婚する娘とその母親のちょっとした対立」を扱っていたので、ある意味劇的な展開があったわけですが、今回はそこまで劇的な瞬間があったわけではないのです。

とても繊細な脚本で(県外から来た脚本家に書いてもらったもの)、話している内容こそありふれたなんでもない会話なのに、その裏にたくさんの感情が流れているというものでした。

ただ何気なくしゃべっているだけでは何も見えてこないような、10分ほどのお話。

これをどう立ち上げていくのか、直前まで、なんなら演劇祭が始まってからも試行錯誤していました。とても難しかったです。

私が演じたのは途中で出てきてすぐに出て行ってしまう役だったので、後半をまったく見ることができませんでした。なんかアクシデントがあっても全然わからないのです。

結果的に芝居上のトラブルはそれほど大きなものはなかったようで、それはよかったんですけども。

 

今回は出演、演出だけでなく、この演目全般に関わる制作も担当することになりました。

具体的にはお店との交渉、待機場所の確保とそのための交渉、衣装、小道具の手配、その他各種の連絡などです。

私にとっては、お店との交渉がかなり難関でした。とにかく交渉事が苦手で、出かけるまでにかなりグズグズしていることが多かったです。

実際に行ってしまえばそんなことも言っておられず、持ってる言語能力と交渉能力を限界まで働かせて、なんとかお店の方との関係を作ることができました。最初はめっちゃ警戒されていたのに、最後には親しげに話しかけてくれるようになったり、いろいろ便宜を図ってもらえるようになったのは本当にありがたいことでした。

座組も、本当は役者3人までと言われていたのに、私の不注意から5人になってしまい、稽古日の調整やら、芝居へのオーダーやら、役者のフォローやらの作業量が増えてしまいました。

いや、一緒にやってくれた仲間のことは信頼してるし、好きな人たちばっかりだったので、そういう面では苦労はなかったのです。ただ、初対面の中学生の女の子がいて、その子との関係性を構築するのはちょっと大変でした。向こうも知らない大人ばっかりの中に混じって緊張していたと思うし、こちらもどこまで要求していいものか探り探りの稽古でした。こちらも時間を重ねることで距離が縮まり、最後にはのびのび芝居をしてくれたので、ほっと胸をなで下ろしています。

 

実店舗の中での上演という形式は初めての挑戦で、初回が始まるまでどうなるか予測もできませんでした。にもかかわらず、初回は定員いっぱいで(なんなら定員超えてたかも)、緊張の中から始まりました。こっちも緊張、お客さんも緊張(笑) それでも所々で笑いが起こり、なんとか空気も緩んだ感じになったと思います(後半は見れないのでわからないのですが)。

 

ツアーが1時間に1回スタートする、ということは、こちらも1時間に1回上演するということです。実際には上演時間が10分ほどあり、終わってからもすぐに休憩に入れるわけではありません。実際の合間時間は45分ほどだったのではないでしょうか。

待機場所がちょっと離れたところにあったため、次の開始時間の15分前にはまたお店に戻ることになります。座って休むのは実質30分くらいだったかもしれません。そしてこれも、ただ座っているだけで、気持ちの緊張はずっと続いているわけです。

終わってからみんな、口々に「休んでるようで休めてなかったね」と言っていました。

ツアーのガイドさんは二人組で3組いました。6回のツアーで各組2回ガイドをするわけですね。

二人組なので、メインとサブを交代で担当していたようです。となると、自分がメインになるのは1回だけということになります。ですから、このまち歩きツアーは全6回、全部違う内容のまち歩きになっていたわけです。コンプリートされた方はいたのかな。もしいたらかなり楽しかったと思います。

そして、迎え撃つこちらは、ずっと同じメンバー。来る人が違うので毎回雰囲気が変わって、それは楽しかったんですけどね。夕方の最終回が終わるまでは、緊張が続きました。それがいちばんしんどかったかなあ。1964タイムスリップの時もそうでした。

こういう形式の上演は、そういうものなんでしょうね。

 

上演会場から離れることができないので、日中の他の演目は前日のゲネを見たり、ついには見られないままのものもありました。ちょっと残念。まあ仕方ないことなんですけどね。運営側にいるってそういうことです。

 

こういった演劇祭の意味とか、意義とはは正直言って私にはよくわかりません。

商店街の活性化、にはつながらないと思うんですけど、「演劇」ってものが少しでも身近なものになってくれたらいいなとは思います。

お借りしたお店の方も、今まで演劇なんて関係なかったのに、今回のことで「案外面白いな」と思ってくださったようです。それが思いのほか嬉しかったんですね。自分がそう思ったことがちょっと意外でした。

 

藤枝ノ演劇祭は来年も予定されています。さすがに来年はまち歩きはないみたいですけど。

中心になっている劇場が移転するので、また形態が変わってくるのかもしれません。

私は来年は何してるかなあ。どっかの会場係になってるかもしれませんよ。

 

 

追記:

大事なことを書き忘れました。

今回の全12回の上演の中で、唯一屋外で上演した回がありました。

二日目(3月3日)の初回、9時スタートの回です。

スタート地点を9時に出発すると、うちの会場に来るのが9時35分ごろになります。

ところが、お借りしていたお店の開店時間は10時。

最初に交渉したとき(まだ警戒されてた時)は、開店時間前は使えないよ、とにべもなく言われてしまってました。まあそうですよね、と思い、そこから上演方法を探っていきました。

その回だけうちの上演をなしにするか?という極論も出ましたが、当然採用されるはずもなく。

では、待機場所としてお借りしている隣家の駐車スペースを使ってできないかと考えました。

脚本が店内を想定して書かれているため、当然違う場所でそのまま上演するわけにはいきません。どうするか。これが今回いちばん頭を悩ませた問題でした。

リーディングしかない、と決めたのは2月に入ってからだったかもしれません。

台本を持ち、その場で動かずに読む。

しかし、内容は完全に日常の動きをまとった会話なのです。ただ読んでるだけじゃ情景もわからないし、第一つまらなさすぎる。やはりある程度ト書きを読むしかない、ということになりましたが、今度は読む人がいない。キャストはぎりぎりの人数ですし、他にアシストしてくれるスタッフもいません。私が読むか? いちばん出演時間は少ないし。しかし、少ないとはいえセリフはあるし、どうしたって違和感は拭えません。

リーディング形式を取るのは二日目の初回のみ。台本を持っているということで稽古は後回しになりました。そして3月の初めにナレーションをやってくれる人を見つけました。前日の2日にフリンジ企画に出演していた石村さんという方です。奇しくもこの方は、1964タイムスリップで、私が書いた芝居に出演してくれた方で、それ以来仲良くしていただいているのです。

天の助けだと思いました。恐る恐るお願いしてみると、あっさり快諾。肩の荷が下りるとはこのことかと思いましたよ。

そして二日目の朝9時ごろ。駐車スペースに集まって準備を始めました。

前日の公演で様子がわかった帽子屋(会場になったお店)のおじさんが急遽お店を開けてくれようとしたんですが、時すでに遅し、で。ご厚意に感謝しつつ、駐車スペースでのリーディング上演を行ないました。めっちゃ寒かったです。

こんなふうに、重要な小道具であるレジ台とレジスター、マグカップなどを配置してのリーディングでした。

並んでる演者の左端にいるのがナレーションの石村さん。

通りの反対側から見るとこんな光景だったようです。

日曜日の早朝、って感じですね(笑)

 

2回目の上演からは店内に入れたので、そこからは前日と同じ。

しかし1回目を違う形でやったせいか、なんとなく時間感覚がおかしくなりました。

 

「ソレヨリ意外ナ」と強く思ったのは、このリーディング公演があったからかもしれないです。

想定外に弱い私が、思いっきり想定外の出来事(開店時間前でお店が使えない)に遭遇して頭を抱えました。

最後はもろもろ吹っ切って、もうやるしかないと腹をくくりました。そうしたら頭が回るようになって、最終的にはなんとか乗り切れたのです。いやあ、がんばった、私(笑)

こういうことも経験値になるんでしょうかね。でももし次に何か想定外のことが起きたとしても、なんとかなる、と思えるような気がします。そういう意味では財産になったのかも。