忸怩たる思い | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

これは反省の記である。

 

今朝、小学校でおはなしを語ってきた。6年生の教室で。

語ったのは、『やまんばのにしき』という昔話。

もう何度も語っているお話なので、何も問題はないはずだった。

直前までテキストを確認して、いつものように語り始めた……つもりだったのだが。

 

どうにも気持ちが集中できず、口から出る言葉がバラバラに散っていくような感じがする。

ストーリーはちゃんと入っているので詰まったりすることはないのだが、覚えたのと違う言い回しがひょいひょい出てくる。

昔話の語りというのは、最初にテキストをまるごと覚える。使われている言葉や文章の繋がり方に独特のものがあるのだ。そういうものをひっくるめて、一種の歌のようにして覚える。

私の場合はそこから内容に踏み入っていき、場面ごとに話の流れや感情などを想像する。

そうやってその話を自分のものにして語るようにしているのだ。

 

だから、うまくいったときには、教室中がお話の空間にすっぽり包み込まれるような感じになって、聴いている子どもたちとの一体感を感じることができる。

めったにそんなことはないのだが、目標はそこに置いている。

 

で、今日はなんだか不本意だったなあと思ったのだ。

おはなし自体は破綻もなく語れたんだけど、どうにも私のほうに集中力が欠けていたなあと思う。

この『やまんばのにしき』は数少ない好きな昔話なので、ちゃんと語りたい。

もう何度も語っているので、若干飽きが来てるということも否めないが、それは聴いている子どもたちには関係のないことだ。

 

おはなしを語るときは必ず聴き手がいる。聴き手のために語るのだ。

だから、不本意な出来だととても苦しい。申し訳なくて。

 

たった10分程度のおはなしだけど、集中して語るのは難しい。

ちょっとでも気を抜くと、話がバラバラの粒になってどこかへ流れていってしまうのだ。

 

一番前に座っていた男の子が、うんうんとうなずきながら聴いていてくれたのが救いだった。

あれはほんとにうれしいものだよね。