これは反省の記である。
今朝、小学校でおはなしを語ってきた。6年生の教室で。
語ったのは、『やまんばのにしき』という昔話。
もう何度も語っているお話なので、何も問題はないはずだった。
直前までテキストを確認して、いつものように語り始めた……つもりだったのだが。
どうにも気持ちが集中できず、口から出る言葉がバラバラに散っていくような感じがする。
ストーリーはちゃんと入っているので詰まったりすることはないのだが、覚えたのと違う言い回しがひょいひょい出てくる。
昔話の語りというのは、最初にテキストをまるごと覚える。使われている言葉や文章の繋がり方に独特のものがあるのだ。そういうものをひっくるめて、一種の歌のようにして覚える。
私の場合はそこから内容に踏み入っていき、場面ごとに話の流れや感情などを想像する。
そうやってその話を自分のものにして語るようにしているのだ。
だから、うまくいったときには、教室中がお話の空間にすっぽり包み込まれるような感じになって、聴いている子どもたちとの一体感を感じることができる。
めったにそんなことはないのだが、目標はそこに置いている。
で、今日はなんだか不本意だったなあと思ったのだ。
おはなし自体は破綻もなく語れたんだけど、どうにも私のほうに集中力が欠けていたなあと思う。
この『やまんばのにしき』は数少ない好きな昔話なので、ちゃんと語りたい。
もう何度も語っているので、若干飽きが来てるということも否めないが、それは聴いている子どもたちには関係のないことだ。
おはなしを語るときは必ず聴き手がいる。聴き手のために語るのだ。
だから、不本意な出来だととても苦しい。申し訳なくて。
たった10分程度のおはなしだけど、集中して語るのは難しい。
ちょっとでも気を抜くと、話がバラバラの粒になってどこかへ流れていってしまうのだ。
一番前に座っていた男の子が、うんうんとうなずきながら聴いていてくれたのが救いだった。
あれはほんとにうれしいものだよね。