漂う耳石 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

良性発作性頭位めまい症というめまいの症状がありまして。

 

炭酸カルシウムの結晶である耳石が、なんらかの原因で剥がれ落ちて三半規管の中に迷い込んでしまう。そのせいでめまいがするようになる、ということらしいです。

 

ここ最近、けっこうな頻度でめまいが起こるようになりました。

朝、目が覚めて体を起こしたとき。頭を下げたとき。急に振り返ったりしたとき。

つまり、頭の位置を変えたときに、ぐるんぐるんという感じで世界が回ります。

たまに、体も揺れているのか、よろけたりすることもあります。

しばらくじっとしているとおさまるので、まあこんなもんかと思って過ごしています。

 

私の母もこういうめまいの症状が強く出ていた時期がありまして、電話をかけてきては愚痴をこぼしていました。母は病院で医者に訴えたらしいんですけど、「どうすることもできんなあ」といわれたそう。

なにかしらの薬を出してもらって飲んでいたようですが、しばらくしたら症状がおさまったらしく、愚痴を言わなくなりました。

こういう経過を見ているので、私としては病院へ行く気にはなれないでおります。

行ってもねえ。どうせ「なんでもないですよ」あたりのことを言われるだけでしょうし。

とりあえずじっとしてればおさまるので、しばらくは我慢することにします。

 

 

それにしても。

ほんの小さな炭酸カルシウムの結晶が入り込んだだけでも、平衡感覚がおかしくなってしまうもんなんですね、人間って。

こんな、耳の中の、小さな三半規管が、この世界のバランス感覚を一手に引き受けているのかと思うとなんだかあほらしいような気がしてきます。

今私が見ている世界は、感じている世界は、果たして本当に存在しているのだろうか。そんなことすら思います。

まあ、みんな人それぞれ見てるもの、感じているものは違うっていいますしね。

一人につき一つの世界、なのかもしれません。

そう考えれば、「なんであの人はあんなふうなんだろう?!」なんて腹を立てることもなくなるんじゃないでしょうかね。その人と私が見ている世界はまったく別のロジックで動いているのでしょう。色ですらも全然違っているかもしれません。

 

いろいろ終わっていく予感に満ちた毎日を送っております。

私と同じ年齢の人を見ると、「まだまだこれからじゃん」と思うんですが、こと自分に関しては「終わってるな」と思うんですよ。気力も尽きてきたし、もう店じまいしてもいいなと。そう思ってるのになかなか終わらないところが歯がゆいんですけどね。

 

ほんの小さなものなのに、全体に対して大きな影響を持っている、っていうことはあるものなんですな。