空を見上げて | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

暖かさも今日までらしいですが。

春めいた青空が広がり、たっぷりと花粉を含んだ柔らかい風が吹き渡っていました。

 

買い物に出てふと空を見上げたら、大きなひらがなを発見しました。

 

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わかりますかね?

雲が「く」の字になってました。

これ、見つけたときはもうちょっとくっきりしていたんですが、車を止める場所を探して移動しているうちに少しぼやけてしまいました。

また、見つけた場所からはもうちょっと空の上の方に見えたんですが、移動先だとここまでしか見えませんでした。

しかも、買い物を済ませて出てきたらもう「くの字」は跡形もなく消えていて。

まったく雲っていうのはとりとめのない存在であります。

 

だからこそ、空を見上げて雲を眺めるのが好きなんですね。

常に一期一会。その雲は、その空は、そのときにしか見ることができないから。

 

先日母と電話で話していて気がつきました。

私がいつも「生きているのがしんどい」と思うのは、母が同じようなことを言っているからなんじゃないかと。

母は70を越えたあたりから、口癖のように「生きているのもしんどいもんや」と言うようになりました。

「さっさと死にたいもんだが、それもまた難しいし。やれやれ」みたいな感じ。

特に厭世的だったり、抑うつ的というわけではなくて、心底「生きるのはしんどいもんだ」と思っているフシがあります。日常生活はそれなりに送っているけど、根底にあるのがこの「しんどさ」のようで。

生きていることの楽しさ、なんてものは教わらなかったなあと今更のように思います。

そして、私もまた、「生きていることの楽しさ」を見つけられずにここまできてしまったような気がします。

小説・漫画・映画の世界に没入しているときだけが、生きている実感を持てるんですね。

だから、小説や漫画を読み終わって本を閉じたとき、とても長い旅から帰ってきたような、あるいは、まだその世界から戻れていないような、そんな気持ちになることがよくあります。

起きがけに見る夢もそんな感じになるときがありますね。今朝もそうでした。夢のほうの世界がとてもリアルに感じられて、そこでがっつり生きている気持ちになっていたので、目が覚めてからすごく妙な気分でした。「あれ?さっきまでのあの世界はどこへ行ってしまったんだ?」って。

 

できることなら、許されるなら、もうずーっと小説や映画や漫画の世界に入り浸っていたい。こっちにいてもあんまり楽しいことがないんですよねえ。

 

 

 

……ってなことを、一瞬でも忘れさせてくれるのが、空と雲なのでした。