お菓子作りから垣間見えた男女差別問題 | 10月の蝉

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あら、今日はお菓子の日なの? 知らなかったわ。

 

昨日の出来事。

バレンタインデーということでチョコのお菓子を作ってくれよと友達にリクエストされた息子は、せっせとマカロン作りにいそしんでいた。

彼が作ろうとするまでマカロンの材料だとか作り方だとかについてまったく無知だったのだが、彼のおかげで知識は増えたニヤリ

 

マカロンっていうのは、卵白と粉砂糖とアーモンドパウダーからできているのだね。

で、そのアーモンドパウダーをふるいにかけてるときの会話。

息子「これ、けっこうしんどい」

私「お菓子作りは力がいるっていうもんね」

息子「小学生女子のなりたい職業の上位にパティシエがあるらしいんだけど、実際にパティシエになる子は少ないんだってね」

 

おお、その話題は私もTwitterで見かけたよ。

暗に(だから女はだめなんだよな)という冷笑がくっついてるパターンな。

息子も、力仕事からの連想でその話を思い出したんだろう。

 

そこで私は、「なぜ女性がその手の仕事を続けられないか、考えたことがあるか」と聞いてみた。

「能力的な問題じゃないの?」と返ってきたから、はたしてそうだろうかと問いかけてみた。

 

男性が仕事に全振りできるのはなぜか。

それは、「仕事」以外のことを誰かに委託しているからじゃないのかな?と。

家に帰れば食事ができてる、風呂もすぐに入れる、着替えもある。それは誰かがやってくれてるからじゃないのかな。

女性が同じように仕事をしようとすると、なぜか「家事」がくっついてくる。

人に与えられた時間はみな同じなのだから、家事に時間を割いたら当然仕事に割ける時間は減るよね。

そういうハンデがある中で、「女性は仕事をがんばらない」っていう流れになるのはおかしくないかな。

 

力仕事、という側面から考えてもさ。

男性でも非力な人はいるし、女性でも力仕事のできる人はいる。

一般化すればそりゃ、男性の方が力は強いのかもしれんが、個別に見たら絶対とは言えない。

つまり、「人による」のだ。

 

料理の世界もそうだけど、「仕事」として男性のほうが適しているとか、「男の世界」っていうのは実は単なる既得権益に過ぎないんじゃないかと思うのよ。

そして、この発想は女性側にも浸透してるから、女性のほうも「女には無理よね」って思いこんでるところがあるんじゃないかしら。

女の子の進路を潰しているのが同じ女(それも母親)っていう構図はわりとよくある。もちろん父親も潰してくるけど、母親もそれに加担する場合がよくあるわけよ。

 

最近、ほんとに「男女差別」についての可視化が進んできたなあと思う。今まではまったく無色透明化されたり、踏み潰されたりしてきたから、これでもかなりの進歩だと思う。

まだまだ道のりは遠いけどね。せめて選択制夫婦別姓制度くらいは実現してほしいものだと思う。

「選択制」という言葉の意味をちゃんと理解したいものだよね。

同じ苗字にしたい人はすればいいし、それぞれの苗字のままでいたい人はそうすればいい。どっちも法的に認められた夫婦ですよ、ってしてくれればいいだけのことなんだがなあ。

小手先で、旧姓を使ってもいいよだの、通称で使えるよ、だのわざわざ手間を増やすことをしなくてもいいと思うのだが。しかもそれ、法的に通用しないという無意味さ。

結婚する二人が新たに戸籍を作る、ということがもうちょっとしっかり認知されるといいなあ。

決してどこかの「家」に「嫁」とか「婿」として吸収される、ということではないのですよ。

 

てなことを、折に触れ息子に話していけたらいいな、と思った。

息子の方が新しい知識を仕入れていく速度は早いと思うから、親が足を引っ張らないように気を付けないといけないね。