そしてバレンタインデー | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

昨日チョコレートのことを書いたんで、特にバレンタインデーの思い出話はないんですが。

 

最近は息子がバレンタインデーにお菓子を作るようになりました。

小学生のころはもらうこともあったみたいですが(でもたぶん友チョコ)、高校生になってからお菓子作りに目覚めた結果、もらうよりあげる方にスライドしたぽいです。

 

キッチンに立つことは小さいころからやらせていたので、そもそも料理することに抵抗がないんですね。

そこから高じて「お菓子作りをしてみよう」と思い立ったようです。

 

最初はクッキーから。

その次はガトーショコラ。カップケーキ。そしてマカロン。

スマホで検索して見つけてくるようで、それを見ながら作っています。

最初のときこそ手伝いましたが、2回目からはほとんど手を出さず。洗い物とかをちょこちょこやっています。

そういえば娘もよくお菓子を作ってましたねえ。今は自分の家でやってるんでしょう。

二人とも私と違って、料理とかお菓子作りが好きみたいです。

 

息子のお菓子は評判がいいらしく、今回もコロナだからやめようと言っていたのに、「作ってほしい」と頼まれたそうで、材料を買いに行って作っています。まめだなあ(笑)

 

 

昨夜はテレビで映画を観ていて、あと少しというところで突然地震速報に切り替わりました。

びっくりしましたよ。震度6って。

これが10年前の地震の余震かもしれないとか、もしかしたら前震かもしれない、とかいろんな説が飛び交っています。

東海大地震はどうなったんだろう。よそで地震が起きるたびに不安だけが蓄積されていきます。

ゼロヒャク思考なので、いっそのこと死んでしまったほうが楽なんじゃないか、と思ったりもします。

生きていくのはほんとうに大変だし、つらいことだから。

 

差し迫って「生きるのがつらい」と感じているわけではないのですが、常にずーーっと、意識の底にはそういう思いがあります。私なんかが生きてていいのかな、とも思うし。

新聞のカルチャー教室の案内を眺めて、ちょっと心が動き「やってみたいな」と思ったときに、「別に私がやらなくてもいいんだ」という声が聞こえます。

ちょっと前までは、「やりたいと思ったらどんどんやってしまおう」てな感じの、イケイケドンドンな時期だったのですが、この一年ですっかりそういう気持ちが薄まってしまいました。

今更そんなことやってもどうにもならない、とか、そこまで自分にお金をかけるのはもったいないな、とか、そういう気持ちが強くなってきました。それより息子の学費に回さないと、とも思うし。

生きていくのはお金がかかる。これはもうまぎれもない事実で。だからこそ使途を絞らないといけないんじゃないかという気持ちが強くなっています。

 

ずっと不思議に思ってることがあります。

「いのちの電話」ってありますよね。つらいときは電話してください!みたいに広報されてるやつ。

でもあれ、電話に出てくれる人って、無償のボランティアなんですよね。

自腹で研修を受けて、無償でボランティア。内容は人の生死にかかわる重たい仕事。

なんでボランティアなんだろうなあって思うんですよ。わからなくもないんですけどね。

でも、そのボランティアをする側からしたら、こんなに割の合わないことってあるだろうか、とも思うのです。使い捨てですもんね。人が足りない、とかいう話も聞きましたが、なぜこの体制で人が足りるって思えるのか不思議でなりません。

私はたぶん、どんなにつらくなってもここに電話はしないと思います。それとも、追い詰められたらかけてしまうのかなあ。でも自分のつらさなんて、他人に話してもどうにもならないし、話したことでさらにつらくなるかもしれないと思うと恐ろしくて人には言えません。

……てなことを、「いのちの電話」にまつわるニュースを耳にするたびに思うのでした。