古い恨み、新しい恨み | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

Twitterを眺めていると、時々古い記憶が掘り起こされることがある。

「結婚式が終わったあとに、新郎が新婦を置いて、友人女性を送っていった」というような話が流れてきて、「なんで結婚式なのに新婦を放置するんだ!?」と怒っていた。

それを読んでふとよみがえった古い記憶。

 

前夫との結婚式の披露宴のとき。

壇上に二人並んで座っていたわけだが、私の友人を見た前夫が「彼女、かわいいな。ちょっと代わってくれる?(笑)」と言った。

その友人は私より若く、確かにかわいらしかった。振袖を着ていて、とてもきれいだった。

そのとき私がなんと答えたのかもう覚えていない。もしかしたら「じゃあ、代わってもらおうか」と冗談めかして返したのだったかもしれない。

披露宴は始まっていたし、たくさんの人の目にさらされている場所にいたから、ムカッときてもそれを表に出すのはいやだなと思ったことは覚えている。

そして、そのときからもう数十年経っているのに、私はいまだにそのことを忘れていない。

あのとき、私はもっと怒ってもよかったんだろうな、と思う。でも、怒るより前に、あきれてしまったのだった。そういうことを言う人なのか、という「がっかりポイント」が一つガチャンと加算された音が聞こえた。

その後もたくさんの「がっかりポイント」が蓄積されて、その結婚は解消されることになったのだが、最初の大きなポイントはそれだった。

 

Twitterでは日々、とほほな夫の生態が流れてくる。まったくどうしてこうも途切れなく出現するんだろうと思ってしまうが、浜の真砂みたいなものなのかもしれない。

そういうのを読んでいると、自分の日常生活の中で、「ああ、これもまたTwitterネタになりそうなエピソードだな」と思うことがよくある。

これは、恨みではないのだが、先日夫がちょっとした発言をかましてくれた。

空気の乾燥がひどくて、指先がパリパリに乾燥する。手荒れもひどい。

「手がパリパリに乾燥するんだよね」と言ったら、「洗い物や洗濯するもんね」という。

「そうなのよ」と言ったあとに、ふと思いついて「代わってくれてもええんやで(笑)」と言ってみた。

すると「無理」と即答。

まあそうだろうなあと思ってその話はそれっきり流してしまった。

 

今更その程度のことで腹を立てたりはしない。

家事は自分がやりたいと思ったことだけするようにしてからは、ほんとに腹が立たなくなった。

「やらなくてはいけないこと」を私だけがやっている、と思うと腹が立つが、「自分が気になるから、やりたいと思うからやっている」というふうに切り替えたのだ。

子どもが小さいころはけっこうまめに世話もしてくれたし、まあこんなもんだろうと思っている。

もろもろ諦めたら楽になったのだ。今は私の体が動くし、できるからやってるだけのことで、私がいなくなったあとのことなんか知ったことか、と割り切れるようになったのだ。

本当に困ったらなんとかするだろうし、なんとかできなくてもしょうがない。

 

今の夫に対する不平不満はすごく少ないし、あってもたいしたことじゃないのですぐに忘れてしまう。

むしろ、前夫に対する恨みのほうがしぶとくて、ちょっとびっくりする。どうしていつまでも覚えているんだろうね。解決されてないから(直接文句をいうこともなかったから)、くすぶっているのかもしれない。

だからといって、なにをどうしようということもないんだけど、ちょっとした刺激で古い記憶が呼び出されるのはめんどくさいね。

 

ということで、ここに書いて成仏させました。