コロナ禍で演劇活動に限界を感じ始めたと思っていたんだけど、もしかしたら単に燃え尽きてただけだったのかもしれない。
私が所属しているおはなしサークルで、入会以来とても精力的におはなしを覚えたり、おはなし会で絵本を読んだりしていた人(Aさん)が、「なんだかもうやめたくなってきた」と言いだした。
どうしたんだろうと思ってちょっと話をしてみたんだけど、聞けば聞くほど身につまされてしまった。
そう、始めたころは何でも面白くて、とりあえずなんでもチャレンジしてみよう、と思うんだよね。
そして、なかなか上達しないことに毎回がっくりする。
私も読み聞かせを始めたばかりのころは、毎回反省していたっけ。
今日はあそこがだめだった、もっとこんなふうにしたかったのにできなかった、なんて。
Aさんも似たようなことを言ってた。ちっともうまくならなくていやになる、と。
でもそれは、ある意味向上心のなせるわざとも言えるし、場数を踏んで慣れていけば多少は上達するんじゃないかと思うんだ。
それよりも、今いるグループの見えない縛りがしんどくなってきてるんじゃないだろうか。
少なくとも私はそうだ。
決して表立って厳しく規制するわけじゃないんだけど、やんわり、遠回しに拘束されてる感じ。
「そういうことはしてはいけない」と言われることに根拠が見いだせなくて、でもあからさまに禁止されるわけじゃないので反論することも難しい。じんわり、真綿で首を締められているような感じ。
読み聞かせって、なかなかに微妙な活動で、求められているといえばそうなんだけど、言われるほど歓迎されてるわけでもないし、期待されてる感じもしない。
そんな中で活動を続けていくためには、なにかブースターになるものが必要なのだ。
なんか違うなあと思いながらも、断り切れずにやってしまっていることって、だんだん積もっていく。
積もり積もってあるとき突然ぐしゃっと潰される。
そんな気がしてる。
絵本の読み聞かせや、ストーリーテリングを楽しみにしてくれてる子は確かにいる。ものすごく少数だけど。だから本当は、そういう子たちに向けて語りたい。
でも、学校とか学童保育とか、子どもがたくさんいる場所では、そんなふうに選抜することが許されない。
平等じゃないから? なんかよくわからないけど。さほど興味のない、むしろ聞きたいとは思っていない子どももひとまとめにして聞かされるから、なんかいつも微妙な空気になるんだよなあ。
そういう状況に、表立って文句も言えないし、言うひまもないし、言える立場でもないし。言っても聞いてはもらえないし。
そんなことをずっと続けていると虚しくなってくるのだ。
演劇もそう。
まだ細々と稽古はやっているから、息絶えてはいないけど、かなり熱量は落ちてきている。
そりゃあそうだ。私程度の人間がやるにはあまりにも制約やら対策やらが多すぎる。そこまでしてやるほどのことか(私なんぞが)と思ってしまうのも無理はなかろう。
観劇することすら億劫になってきている。
燃え尽きちゃったのかもなあ……。