クリスマスの青い空 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

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飛行機雲がシューーーっと線を引く。

午前中はご機嫌斜めだった空も、午後からは雲がいなくなった。

 

アメブロは時々変になる。ログインして、お気に入りのブログを見てるのに、「いいね」を押そうとすると「ログインしてください」なんていう表示が出る。してるよ。だから見てるの。なんでそんなこと言うかな。

デジタルの世界は時々意味不明。

 

そうそう、今日はクリスマスなのよね。

なんかここ数年は、イブが過ぎるともう「はい、クリスマス終わり!」っていう気分になっちゃう。

サンタ論争は今年もさかんで、まあ世の中にはいろんなこと考える人がいるんだなあと感心する。

で、毎年思うのは、私にとってクリスマスとはどういう存在なのかってこと。

サンタの実在問題もそうなんだけど、そもそもクリスマスってなんやねんっていう疑問がずっとある。

記憶にある限りでは私が小学3,4年生くらいから家でクリスマスらしきことをやり始めた気がする。

世間で「クリスマス」というイベントがはやり、サラリーマンのおじさんたちがその日はおバカな三角帽子をかぶって一杯機嫌で街を練り歩いたり、クリスマスケーキの入った大きな箱をぶらさげて家に帰るという行動がはやったりしたんじゃなかったか。で、その流れの中で「サンタクロースがプレゼントを持ってやってくる」という話も広まった気がする。あくまでも個人の見解ですよ。

だから、もっともサンタクロースを信じやすい年代(幼稚園くらいまで)のときは、クリスマスもサンタクロースも知らなかった気がする。だって待ってたっていう記憶もないし。

そういうファンタジーを受け入れることなく成長してしまってからクリスマスイベントに出会ったので、そもそもサンタクロースの存在を信じてはいないのだ。そういうお話があるんだなという認識。

外国の物語を読むとそういう話がふんだんに出てくるので、「ああこれは、外国の風習なのだな」と思っていたのだろう。

 

若いころは、世間並みにクリスマスを過ごしていた気がする。中学高校のころは、夜外出できる環境じゃなかったから必然的に家族と過ごしていて、大学に入ってから初めて、家族以外の人や恋人と過ごすということをするようになった。

ちらちらとキリスト教の存在は頭の隅にあったので、時々「いいのかなあ」と思ったりもしたんだけど、いやこれはもうすでに日本独自の習慣、イベントになってしまってるから、と思い直して、意味も分からず「メリークリスマス!」と叫んでいた。

 

子どもが生まれたとき、初めて「どうするか」ってことを考えた。

クリスマスツリーやグッズを飾ったり、クリスマスケーキを食べたり、ご馳走を作ったり、プレゼントを用意したり。子どもが物心つく頃には「サンタさんがプレゼントをくれるんだよ」という物語を自然に語っていた。

上の子は絵本で知って、サンタクロースに手紙を書いた。クッキーとミルクも置いた。私はそのクッキーを食べ、ミルクを飲みほし、手紙に返事を書いた。娘は小学生の間くらいは信じていたんじゃなかろうか。

息子も同じ絵本を読んで(「ふゆのよるのおくりもの」というタイトル)、やっぱり手紙を書いた。クッキーとココアを置いた。私は同じようにクッキーを食べ、ココアを飲み、返事を書いた。プレゼントは枕元にこっそり置いた。彼もまた、小学生の間は信じていたと思う。

 

どうして私はこんなことをしたんだろう。

自分もしてほしかったんだろうか。

私はキリスト教も信じてないし、クリスマスという行事もちゃんとやってないし(ミサに行くとかそういうこと)、サンタクロースも信じてない。

なのに、子どもに対してはあたかも信じているかのようにふるまってきた。それはなぜなんだろう。

子どもにはそういうふうにするものだ、という、なにか思い込みのようなものがあったのだろうか。

現在進行形で子育てしている人たちが、サンタの存在をどう伝えるかで苦労しているさまを見ると不思議な気持ちになる。なぜそこまで一生懸命になるんだろう。

一生懸命(言葉は悪いけど)騙すから、子どもはそういうものかと思ってしまう。そしていつかその嘘を知る。

サンタクロースと、現実のプレゼントをつなげてしまうから混乱するんじゃないのかしらねえ。

先日テレビで放送してた「ホームアローン2」では、クリスマスの様子が描かれていたけど、あの中ではプレゼントは実在の人間からもらうものになってたと思う。誰も「サンタさんが届けてくれた!」とは言ってなかった。ただ、クリスマスの美しい概念としてサンタクロースがいて、こんなふうに美しい情景が生まれるんだよと思っているように見えた。

 

無理やり「サンタクロースがプレゼントを持ってきた」ってことにしなくてもいいんじゃないかなあ。

サンタが持ってきたことにするから、実在の量販店の包装紙がやばいことになるわけだし、保証書の存在であたふたすることになるのではないかしらね。

 

いろいろ考えてくると、そもそも私はプレゼントという概念がよくわからない、ということに気づく。

家族以外の人と関わるようになって初めて私はプレゼントというものをもらった。誰かが私に何かをくれる。それは別に私が欲しいと思っているものではないことのほうが多いので、もらっても実際にそれを使うとかそういうことにはならないことが多い。どう扱ったらいいのか困惑することすらある。

それでも、私にそれを贈ろうと思ってくれた気持ちはありがたく嬉しいものだ、ということはわかってきたので、ようやく喜べるようになったのだが。

逆が難しい。誰かにプレゼントを贈るということが難しいのだ。だって、相手はいらないものだと思うかもしれないのだから。そういう可能性はとても高いと思うから。相手が私の気持ちを嬉しいと思ってくれるかどうかがわからなくて、自信がないから、いまだにプレゼントは躊躇する。相手が「ほしい」とはっきり言ってくれればそのほうがありがたいんだけどね。いわゆる「サプライズ」はするのもされるのも苦手だ。

 

さて、明日からスーパーは一気にお正月モードに変わるだろう。(今日もすでにお正月グッズは売られてたけども)

今年もあと1週間なのだね。