うっすらと悲しい日々 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

冬の弱い日差しのせいなのかもしれない。

心細くなるような冷たい風のせいなのかもしれない。

かさこそと音を立てる落ち葉のせいなのかもしれない。

毎日、どこかしらうっすらと悲しい気持ちが続いている。

 

楽しいこともある。

嬉しいこともある。

美しいと感動することもある。

 

それでも、時々時間が音を立てて流れていくのが見えるような気がして、その流れの速さが哀しみを運んでくる気がする。

心かき乱されるニュースがあって、心がざわつく議論があって、それについてふっと心が動くこともあるんだけど、同時に「だからなんなんだ」という冷めた声も聞こえてくる。

私にはどうすることもできなくて、なんなら全然無関係で、ほんとに手も足も出ない。

もういっそのこと全部遮断して、己の娯楽のみに浸ってしまえばいいとも思う。

でもこれまた同時に、「それでいいのか」という声が聞こえてくる。

その二つの間で私はいつも引き裂かれて立ちすくみ、ほんのりした哀しみの中に埋もれてしまう。

 

あんまりあれこれ考えているとだんだんめんどくさくなってきて、「いっそのこと、早々とこの世から消えてしまえばいいのだ」というところにたどり着きそうになるけど。いや、その思いは常に心のどこかにあるんだけど、尋常でない死にざまは周囲に迷惑をかけてしまうから、それはやはり申し訳なくて。

望むべくは自然なさよならであり、無理のない終焉であるわけで。

結局そのときまでがんばるしかないのだね、と、よっこらしょと重い腰をあげて日々の生活に戻っていくわけであります。