クリスマスイブ | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

らしいっす。

クリスマスツリーサンタトナカイプレゼント

とりあえずそれらしいのを貼ってみた(笑)

 

毎日のようにTwitterを眺めているとつくづく、生きていくのって難しいなあと思わずにはいられない。

もうあらゆる面で困難が噴出してる気がしてならない。

どこから書いたらいいのか迷ってしまうくらい困難な側面はあるんだけど、たとえば。

 

子どもを育てること。さかのぼって子どもを生むこと。さらにさかのぼって、妊娠すること。もっとさかのぼって相手を見つけること(含む結婚)。どれもこれも難しいことばかりだ。

今は少子化が問題視されてるんだけど、そのわりには子どもとその親への風当たりは強い。

基本的に赤ん坊というのは泣くものだし、自分をコントロールする技術を持っていない生き物なのに、泣くな、騒ぐな、と言われ、大人のコントロール下で大人しくしろといわれつつも同時に、輝く個性の持ち主となれ、と期待される。子ども本体に対してもそうだし、その子どもを養育する親にも同じような期待とプレッシャーがのしかかる。

学校だってその重圧からは逃れられず、先生に対する期待値は高くなるばかりだし、職場はブラックだし、でもちゃんと教育しないといけないという世間の目は厳しいし。

まったくどっちを向いてもしんどいことだらけ。

 

誰がそんなことを言うんだろうね。みんな自分は言われて苦しいのに他人には同じことを言う。

みんなでつぶしあってるって感じかな。

 

ダブルバインドだというのが苦しさの一因かもしれない。

家事育児は尊い仕事だといいながら、同じ口で「稼いでもいないのに。遊んでるのに」とさげすむ。

 

結婚はしたほうがいいという価値観は根強いんだけど、時々思う。そうまでして結婚てしなくちゃいけないものなの?と。

結婚した後で不具合が生じてきてその辛さを表に出すと「なんでそんな相手を選んだんだ。自己責任だろ」と非難される。

子育てがつらいといえば「生んだのは自分だろ。そんなにつらいなら産まなきゃよかったのだ」と産んでから(つまり取り返しがつかない状態になってから)言われる。

そんなふうに、事前に危機を察知せよと他人を非難する人っていうのは予知能力でも持ってるんだろうかね。

人間は変わるし、変わるだろうと期待してると変わらないこともある。人間関係なんてその都度変化していくんだから、いろんな変化が事前にわかるわけないだろうに。

 

とにかく何をやっても何を言っても、なにかしら非難される。

最後は開き直って、「私はこれでいいんだ」と言うしかないけど、そこまでいくのだって大変なことだよ。

 

少子高齢化はどんどん進むだろう。どう考えたってこれからの世の中、子どもを産んで育てるのに向いてるとは思えない。子ども自身はともかく、育てる親が大変すぎる。

昔、「こんな時代に子どもを生むのは子どもがかわいそうだ」という理由で子どもを持たないという意見に対して、傲慢だと批判した人がいた。かわいそうかどうかは親が決めることじゃないと。生きていること自体に意味があるのだと。

確かに、すでに生まれてしまった身としては、今ある状況の中で最善を尽くして生きていくしかない。それを他人に不幸だとジャッジされるすじあいはないだろう。

でも、育てている方はどうなんだ。この社会で親になることってものすごくリスキーだと思う。

現状だと、男性の場合はまだ回避する余地はあるけど、女性の場合は待ったなしリスキーだ。

妊娠してもしなくても批判されるし、妊婦になっても尊重されないし、産んでからも肩身の狭い思いをするし、育てていくのは大変なことだ。

そういうのを全部謎の精神論で片づけようとしているのが現状なわけで。

 

いろいろ考えてると、あえてそんなしんどいことはもうしなくてもいいんじゃないかと思えてくるわけですわ。

私自身はもう子どもを生むことはないので(そしてそれはほんとにありがたいことだけど)、直接わが身に降りかかってくることではないけれども、娘がいるので、彼女がそういった困難な状況に直面することは十分考えられる。私は「孫の顔が見たい」とも思わないし、「なんでもいいからとにかく結婚せよ」とも思ってないのでそういうプレッシャーはかけてないつもりだけど、彼女がどういう人生を選択するかは私にはわからない。もしかしたら結婚するかもしれないし、子どもも産もうとするかもしれない。

さらには、息子ももしかしたら結婚するかもしれないし、配偶者が子どもを生むことになるかもしれない。

まったくそういうことのない人生を送る可能性も十分あるけどね。

そういう、直接自分がどうこうすることができない、でもまったく無関係でもない状態で、上記のような困難に遭遇することになったら、と思うと、深い深いため息をつかずにはいられない。

 

私としては、そういうめんどくさいことから目を背けて、虚構の世界に逃げ込むという若干卑怯な方法で乗り切っていくしかないなと思ってる。

年のせいなのかなんなのか、最近いろんなことがめんどくさくてどうでもよくなってきているのだ。

自分の中に知らないうちに根付いていた固定観念とか、根拠のわからない規範とかルールとか、そういうものに縛られているのが苦しくなってきてる。

妻だから、母だから、女だから、大人だから。そういう枠にとらわれていることがだんだんはっきりしてきてて、まだ完全に脱してはいないのでそこが苦しいところではあるんだけど、その枠をぶち壊す、あるいは枠から飛び出していこうと、そんなふうに思ったりする。

 

クリスマスイブに考えることでもないのかもしれないが、冬休みに入ったということで野放図にいつまでも寝ている息子に対していらだちたくないので、どうやったらそこを切り離していけるかというハックだったりもするのである。

ほんと、子どもってどこまで親が管理しなくちゃいけないものなのかしらね。生存責任って何歳まで負わなくちゃいけないんだろう。15歳は昔なら元服して大人になってる年齢なんだから、ほっといてもいいんだよね?

と、誰に聞いてるのかわからないが、つい問いかけて答えを求めてしまうあたりが、苦しさの一因なんだよな、うん。